英文パンフレット(筆者蔵)で紹介された「先進の八大施設」。伝票を即送して会計を迅速にしたヌーマチック転送管、自動車を迅速に呼び出せるオートコールなど最新システムがおもてなしに一役買った
大阪をけん引する人々が発案
今年 1月、大阪のリーガロイヤルホテルが創業 80周年を迎えた。
その前身の新大阪ホテルは、 1935(昭和10)年に営業を開始したとき、数多くの新機軸を投入しての開発で大いに注目された。
新大阪ホテルの計画が最初に世に出たのは、24(大正13)年のことだった。当時、帝国ホテルの支配人を務めていた犬丸徹三は、恩師でもあり大阪市長でもある関一(はじめ) から目論見書を受け取り、このホテルの開発と創業に大きく関与した。関市長は大阪の発展に貢献して「大阪の恩人」と呼ばれた人物だ。また、後に犬丸は、発案者が大阪商工会議所会頭の稲畑勝太郎であったことも知る。いずれにせよ、大阪をけん引する人々の間で計画は生まれたのである。開発の発端はこうだ。
犬丸に目論見書が届く前年、東京の木造旅館は関東大震災で壊滅状態にあり、大阪の実業家たちは帝国ホテルなどホテルを利用するようになる。犬丸は、この「帝都のかかる宿泊事情が大阪の地に、大ホテルの必要を痛感せしめた一因ではなかったかと思う」と『ホテルと共に七十年』(第 3回参照)で記している。ホテルの安全性に注目が集まったということなのだろう(実際、太平洋戦争時の大阪空襲で、新大阪ホテルは、従業員の懸命の消火活動もあって存続し、多くの人々に安息の場を提供した)。