「彼を知り己を知れば百戦殆あやうからず」、有名な孫子の兵法の一つである。現代において経営者はコンペティターの動向を把握し、営業マンは営業先の現状把握が必須。時代は変われど、「相手を知る」という本質は変わらない。2015 年週刊HOTERES は、人脈マッチングスペシャリスト、TOP CONNECT ㈱代表取締役 内田雅章氏をファシリテーターに、企業存続のノウハウや秘訣を探るべく、トップ企業経営者との対談を実現。第11 回は、伝統の継承と若者の育成に取り組む㈱みしま 取締役副社長 三嶋浩義氏に登場いただき、地域文化の魅力やその背景にある思いについて伺った。
高野山発祥「柿の葉すし」
伝統を担う㈱みしま
内田 ㈱みしまの歴史についてお聞かせください。
三嶋 私の父であり現社長である三嶋邦義が、1980 年に「紀の川壽司本舗」を創業しました。当初から柿の葉すしの専門というわけではなく、もともとはすし全般の調理を生業とする、いわゆる地域のおすし屋さん。それを量販店やスーパーを中心に商品として卸し、近畿方面に販売エリアを拡大しながら、90 年に現在の㈱みしまを設立。その後も販売ルートを名古屋や岐阜などの中部方面、関東・九州にも展開し、2006 年12 月にWeb を利用した全国販売事業を開始しました。私自身は家族の事情もあって、10 年ほど前にこの世界に入り、現在副社長として事業拡大などにいそしんでいます。
内田 どのタイミングで柿の葉すし中心のビジネスモデルになったのですか。
三嶋 2000 年くらいまでは順調に業績を伸ばしていったのですが、流通の発達や技術の進歩に伴い、今まで取引のあった卸先が、商品の内製化を進めていくようになりました。その影響を受け、弊社の取引量や売り上げも減少の一途。そんな中でも柿の葉すしだけは生き残り、商品として扱っていただけたのです。私たちにとっては先祖代々の伝統食であり、目新しさよりはなじみある食品だったわけですが、リサーチの中でも一番評価の高いものが柿の葉すしだったので、結果としてそれを前面に押し出していくようになりました。
またそうなると同時に、発祥の地として「もっと自分たちの作る伝統的な商品を世の中に伝えていきたい」と思うようになり、今では自社のHP をはじめとし、文化や歴史的な背景も併せて発信しています。
内田 取り扱う商品の内製化が進む中でも、柿の葉すしだけは影響を受けなかったんですか。
三嶋 内製化に取り組んだところもあったと思いますが、実は非常にデリケートな食品であり、その製造工程も手間がかかるものなんです。特に、すしを包み込む葉の用意。大量生産・大量出荷の時代に反するように、柿の葉を一枚ずつ手洗いし、人の手でもって、一つずつ丁寧に作っていきます。葉に関してもただ乾かせばよいというものではなく、しゃりが含む水分に対して多すぎず少なすぎず、程よいころ合いで用いてあげなくてはならない。こういった手間ひまをかけ、ハンドメイドで作りだされるものだからこそ、皆さまに評価していただく価値も生まれるのだろうと思います。