嘘のない空間で自分自身と向き合う宿
里海邸 金波楼本邸(以下、里海邸)は、茨城県大洗の海を舞台とし波打ち際約 30メートルに宿を構える。文明開化期に創業した「金波楼」を前身とし、アン・モロウ・リンドバーグ『海からの贈り物』(新潮社、1955年)との出会いをきっかけに2011年に再建された。忖度や虚構に溢れ束縛や時間に支配された社会から逃れて、偽りのない空間で自分の心と向き合う時間。宿でありながら、誰にも侵されることのない安心して帰れる場所。まさに、「別荘宿」を体現したこの宿は、どのような思いで作られたのだろうか。石井盛志社長に話を伺った。
取材・執筆:今坂 愛来子・平野 智唯
人生に寄り添う海辺の別荘宿
----里海邸を建てた経緯を教えてください。
学生時代に里海邸の前身である旅館金波楼でアルバイトをし、調理手伝い・ルームメイク・会計・接客まで幅広く携わる経験をさせていただき、旅行娯楽をつくる面白さを肌で感じておりました。大学院まで航空宇宙工学を学び、大企業の研究職に就職したのですが、バブル崩壊直後ということもあって思うような就職活動ができず、夢やぶれて、就職先はやりたい仕事ではありませんでした。その後、ご縁で現在の妻である女将と結婚し、24歳の婿養子として未熟ながら新たな夢を探しに、旅館経営者に転身しました。
実際に旅館経営者の立場になると、旅館の内外にわたり人と人のつながりに気を配る絶え間ない日常に責任や疲れを感じるようになりました。当時の労働環境は朝から晩まで長時間労働が普通のことで、交代勤務できるほどの人手を置く余裕もなく、休みがほとんどありませんでしたから定休日を設けることにしましたが、売り上げは減りますし、お客様からも同業者からも定休日がある旅館など聞いたことが無いと言われていましたね。
また、旅館をとりまく海環境の魅力を伝える取組みを10年ほど試行錯誤しましたが、お客様の心が躍るような宿泊体験の手応えを生み出せず、虚しさを感じていました。こうして職場の内外の問題にもやもやしながら、海の魅力の表現について海を舞台にした文芸作品などを読み耽る日々を過ごします。
そのような日々の中、アン・モロウ・リンドバーグの『海からの贈り物』という本に運命的に出会いました。この本は、離島の波打ち際を舞台に著者自身の有名人の妻として、母としての人生の省察とともに新しい生き方を示したエッセイで、外(社会)への対応に忙しすぎる生活の辛さから離れ、自分の内側に心を向ける豊かな時間を持つことの大切さを説くとともに、海自然を舞台にした個人を尊重するジェンダーフリーな人間関係の姿が描かれています。私はとても共感し、そのような「豊かな孤独の時間や真の人間関係」を体現する海辺の舞台として金波楼をリブランドしたのが、現在の宿「里海邸」です。
----金波楼を再建することに反対の声はありましたか。
はい。宿泊単価は従来の3倍を超える計画となり、地元では郷土史に名を遺す老舗旅館として知られていた当宿が120年以上用いていた屋号を改称するなど、先代のつくった旅館を完全につくり変えてしまう再建プロジェクトでしたので、当時はもったいないのではないかですとか、何かにかぶれてしまったのではないかと心配されたものです。
先代の経営する旅館は高度成長期の旅行需要に対応した地方団体旅館として堅実に稼ぎ、融資も完済し、一時代の役割を果たしてきましたが、バブル崩壊以後は地方旅館のコモディティ化が深刻化し、当宿の市場価値は下がる一方で、稼働が上がっても利益の出ない赤字体質に陥っておりました。持続可能性が見えない経営をオセロゲームのようにひっくり返すにはどうしたらよいか。退路がありません。ブルーオーシャンとなるような宿泊モデルを自分なりに模索し、里海邸の構想に賭けたのです。
この頃(2005年以降)のインターネット上では、現在のSNS隆盛の前段階として個人旅行ブロガーによる宿泊体験記事が広くオンラインで読むことができるようになり、魅力的な思想の宿が沢山あることを知りました。ブログ旅行記を夢中で読み、胸を躍らせて全国津々浦々に出掛けては宿泊を繰り返したことを覚えています。行く先の宿でオーナーの方に突然「宿づくりについてお伺いしたい」とお願いするなど、不躾でご迷惑をお掛けしましたが、多くの宿経営者の方々が宿づくりの話をして下さったことが人生の宝物です。
そのような経験から、私がこの里海邸のような場所を求めているように、同じ思いを抱えている人がブログで当宿を見つけてくれると願い、考えを変えることはありませんでした。