20ある州のすべてでワイン造りが行なわれているイタリアが、国際市場に向けたPRを強化する時期が来た。10月30日にはイタリアでワインガイドとレストランガイドを発行する「ガンベロロッソ」(Gambero Rosso)による試飲会も例年通り開催された。
これにさかのぼること約2カ月。ブドウの収穫が始まろうかという9月初旬に北部のアルト・アディジェでは、「アルト・アディジェ・ワインサミット 2019」が開催された。イタリア最北部で国境に面するこの地域と、このイベントで発せられたワインとブドウの地域性を複数回に分けてレポートする。
「トレンティーノ? ここはアルト・アディジェだよ」
「トレンティーノ=アルト・アディジェ」と表記するが、どうやら「トレンティーノ」と「アルト・アディジェ」は、イコールでないらしい。アルト・アディジェは今や、イタリアをけん引する白ワイン産地であることを自負する地域だ。世界的にその名を知られるピノ・グリージョを筆頭に、ゲヴュルツトラミネルはこの地にとってのシグネチャーと呼べる品種だ。また、スキアーヴァやラグラインといった土着品種は、この地域の赤ワインを語る上でのキラーコンテンツと言えるだろう。アルト・アディジェとはどのような所か。その大枠をつかんでおきたい。
アルト・アディジェ(ボルツァーノ自治県)の位置
冒頭で述べたイタリアの20州で言えば、トレンティーノ=アルト・アディジェ州における北部がアルト・アディジェだ。州にある二つの県の北部、ボルツァーノ自治県とはまさにアルト・ディジェであり、南部はスパークリングワインの産地、トレントDOCとしても知られるトレント自治県だ。
同じ州の2県でも背景は異なる。共に第一次世界大戦によりオーストリアからイタリアの手に渡ったが、トレントはイタリアやローマ帝国の中にあった時期が多く、1919年のサン=ジェルマン条約でオーストリアからイタリアに属した。対してアルト・アディジェは同様にイタリア化が進められた中でも、言語や自治権の拡大を求める動きが第二次世界大戦以降も続き、それらの施策は徐々に実行に移された。オーストリアのチロル伯領(County of Tyrol)に吸収され、ハプスブルク=ロートリンゲン家によって支配された歴史的背景もあり、この地は今でも「南チロル」(Südtirol)とも呼ばれる(ちなみに北チロルはオーストリアにある)。つまり、アルト・アディジェとはボルツァーノ、また南チロルと同義語であるということだ。
街中でもイタリアとは異なる文化を醸し出している。県の人口の7割は「ドイツ語話者」で占められ、イタリア語を主な言語とする者は3割に満たないという。実際、市街や道路上の標識などはドイツ語とイタリア語で併記されており、耳にする会話はドイツ語かドイツなまりのイタリア語だ。県内では子供が通う学校も、ドイツ語で学び、外国語としてイタリア語を学ぶか、あるいはその逆かに分かれると言うのだ。至るところで「チャオ」「ボンジョルノ」と言い交しているイタリアの姿をここではあまり見かけない。
オーストリア、ドイツ文化圏に接する アルト・アディジェの魅力とは
一方で、ほかの州では見かけないような魅力もここにある。パスタの種類は豊かではないが、それを補って余りあるのがパンの豊富さである。オーストリアとその後ろ盾になったドイツの影響が大いに感じられるものがある。また、パン粉や卵による団子「クヌーデル」といったこの地域ならではの料理と、イタリアとは異なる街並みや建築も見ることができる。何より、アディジェ川や世界遺産であるドロミーティ山塊をはじめとした豊かな自然があり、自然と共にあるワイン造りが存在する。アルト・アディジェ、ボルツァーノのワイン造りが発する魅力は、この自然との共生にあると言っても大げさではない。
アルト・アディジェのワイン造りの概要を知っておきたい。218のワイナリーが、白・赤合わせて1万400haの畑でブドウを栽培し、4万6000tを収穫している。年間で3万3000㎘、4000万本のワインを生産しているのが、生産量の大枠だ。その36%は地元で、40%はほかのイタリア国内で消費される。残りの10%はドイツに、4%は米国、そしてスイスとオーストリアをはじめとした海外に輸出されている。
この地のワインの魅力を現地の生産者がどのようにとらえ、伝えようとしているのか。ここでは土着品種の「スキアーヴァ」を主に、複数のワイナリーの取り組みをもとにして次回以降「アルト・アディジェ ワインサミット」の模様と共にレポートしていく。