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レポート 

近江の遺産 在来種伊吹そばを守り、伝え 今に生かす生産者たちの夢と挑戦

【月刊HOTERES 2019年02月号】
2019年02月08日(金)
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▲ 伊吹山絵図(彦根城博物館蔵) 絵図には蕎麦畑、大根畑の記述があり、本文中にもある通り太平寺の上、伊吹山の西面で蕎麦栽培が行なわれていた事実を伝える貴重な資料となっている。

 
修験者などの食料確保から
献上そばになるまで

 

 滋賀県と岐阜県の境にある伊吹山は山岳信仰の拠点、修験の霊場として知られているが、伊吹山のそば栽培の起源と関係深いのが、平安時代後期から鎌倉時代にかけて、伊吹山中腹に開かれた太平護国寺である。

その僧侶や修験者が食料を確保するために、そばの栽培が始まったものと思われる。太平寺付近は石灰岩の分布地帯。

傾斜地でもあり、元から水田には適していない。
そのため、そういう条件下でも栽培可能なそばを作り始めたのだろう。
彦根藩井伊家文書の伊吹山絵図(作成年不詳;上図)、「元文己未(一七三九)十二月写」銘のある『伊富貴山之圖』(彦根城博物館蔵)には、太平寺(上図※ 3)より上、伊吹山の西面に「蕎麦畑(上図※ 1)」が描かれている。
 
 傾斜による排水性の良さ、冷涼な気候、昼夜の寒暖差が大きいという環境は、そばの作物としての適性に合致し、後に、高い評価を得ることになる。
いくつかの文献で「伊吹そば」が賞賛されたり、諸侯や藩士への贈り物として用いられたり、太平寺では客人に振舞われたりしたことが記されている。
また、その位置と地理的な背景が「日本のそば栽培発祥の地」の物議を醸すことになる。
 
 
伊吹山麓が「日本のそば栽培発祥の地」
と言われる不思議

 
「そば」の起源は中国雲南省とされているが、日本では、縄文時代の遺跡からソバ属の花粉が見つかっており、そば栽培は、縄文時代に始まったと考えられている。
また、遺伝学的な分析によると、中国北部から朝鮮半島を経由して日本に伝播したということが明らかにされている。
その遺跡の数や分布の推移から、そば栽培は奈良・平安時代に広く定着し、中世に最も盛んになったようである。
 
 では、日本のそば栽培は縄文時代に始まったのに、なぜ、伊吹山麓が「日本のそば栽培発祥の地」と言われるようになったのか。
 
 それは前述の、そば畑の位置に加え、伊吹山の地理的な背景が関わっていると考えられる。
 
 文献には、琵琶湖から伊吹山を眺めると太平寺村辺りはそばの白い花で埋まっていたようすが記されている。
 
 そして、長浜、遠くは琵琶湖の対岸の高島からもそばの白い花が見えたと言われている。伊吹山は東西文化が交わる地点であり、陸路、水路がぶつかり合う交通の要。
 
 この、そば畑の風景が地域の住民や往来の人々に広く知られるようになり、徐々に伊吹山麓が「日本のそば栽培発祥の地」と呼ばれるようになったのだろう。
 
 発祥の真偽は別として、これは伊吹そばの歴史を語る上で欠かすことのできない重要な背景である。
 
 

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