生酛(きもと)、山廃(やまはい)を食中酒として伸ばしていけば、
日本の伝統的な食に合わせた酒文化が育つ
日本の伝統的な食に合わせた酒文化が育つ
太田 どの酒がどのカテゴリーで評価されるべきかについては、審査終了後に見直して次回に生かすのでしょうか。楠田 審査をしている最中から「この酒はどうしてこのカテゴリーに入っているのか」について議論しながら進めていきます。蔵元の自己申請によってカテゴライズするのではありません。
消費者がラベルを見て「これはこういう酒のはずだ」と想像できるかどうかは、日本酒をマーケットで訴求していくための大きなポイントだと思います。例えばラベルの表面に「純米山廃仕込み」と書いてあれば、「この酒はこういう方向の味だろう」とイメージできますが、純米酒と表記されているだけで、大吟醸かとおもうほどの華やかな香りがすると、風味とイメージのギャップが大きくなってしまいます。そのギャップを埋めるためにも、ラベル表記とカテゴライズにしっかりと取り組んでいく姿勢も求められていると感じています。
島田 生酛・山廃系のIWCへの出品も増えてきました。
楠田 今年は生酛・山廃の受賞が増えましたね。山廃にはある種のくせがありますが、くせのあるものは「これを食べて、こう合わせて飲むとおいしいでしょう」と説明されてはじめて理解することができる。そういった経験の上に理解が成り立つというのは、ある意味で文化的な味だと思うのです。そのことが時間とともに審査員の間に伝わってきたということが一つにはあるのでしょう。もちろんそれと同時に、日本酒を造る側が生酛・山廃系の品質を高めてきたという背景もあると思います。
これはまったく私の個人的な意見ですが、日本酒を世界でも日本でももっと飲んでいただきたいと思ったときに、吟醸酒の持つ力の必要性は非常に高い。言ってみれば、一種のアドバルーンとして機能するわけです。あまり日本酒を飲んだことのない人、さらにはおいしくないと思い込んでしまっている人に対して、質の高い大吟醸を飲んでもらうことで、プラスの意味での意外な驚きを感じていただくことに大きな価値があると考えているのです。
ただし、それはずっと飲み続ける酒だとは思いません。日本の伝統的な食を考えて、食中酒としての側面を考えた場合、吟醸、大吟醸よりも純米。さらに進むと生酛、山廃になるのだと思うのです。ワインやビールにはない、日本酒にしか表現し得ない風味である旨味をしっかりと強く出せるのが生酛・山廃系であり、今後も伸びて欲しいという思いを個人的に持っています。
=次回も、今回に続き楠田卓也氏との鼎談をお届けします=