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第4 回 Part3 中村勝宏プレゼンツ ~美味探求~

第4 回 Part3 ホテルメトロポリタンエドモント 統括名誉総料理長 中村勝宏氏× ㈱オフィス・オオサワ 取締役 大沢晴美氏

【月刊HOTERES 2017年12月号】
2017年12月22日(金)
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「横」に切るフランスの「食」制度
 
大沢 そうなんです。だから日本とフランスの違いというのはいくつかあると思いますけど、そこに関して言うとフランスって横に切るんですよ。
 
中村 というのは?
 
大沢 例えば「食材」となると、日本でもフランスでも農水省の管轄ですよね? 一方、シェフたちというのは管轄が違うわけですよ。よくご存じのMOF なんかにしましても、文部科学省や農水省、日本で言うところの経産省、文化庁など複数の省庁が横につながって一つのプロジェクトを動かしていく。MOF 制度を価値あるものにするためにプロモーションしています。例えば、MOF を取れば小学校卒であっても大学2 年を卒業したのと同じ学歴になるわけです。それは文部科学省が入っているから。日本だと全部縦割りみたいになってしまうので、そうはいきませんよね。ほかの部門がどうかは分かりませんけど、フランスでは食に関しては結構横切りということがあります。先ほどのフェランディがエリートクラスを作ったという話、あれができたころは、将来的にはそこの卒業資格を国が与える学歴につなげるということを80 年代から見越していました。今まさにそうなって、バカロレア(大学入学資格)の上、大学2 年卒業資格まで取れることになりました。だからそういう現場と国の資格制度みたいなものが連動している。食材に関しても、現場で作っている生産者とそれを格付けしていく制度が連動していくというところが、フランスの食文化の強さなのだろうと思うわけです。
 
中村 そうですね。国が積極的にそれを進めるというところに、食文化の質の高さというものが、日本と少々違うのではと思います。単なる美食の国ではなく、その底辺の土台となるところをしっかり国自体が理解し支えている。ここがフランスの素晴らしいところだと思います。日本とて昔から、例えば江戸時代など、フランス以上の食の発展があったと思います。でも日本の現状を見ると、本来もっともっと進化して行かねばならないことだろうと思えてなりません。
 
大沢 今やっと「食も文化にしなければいけない」という動きが見えてきましたよね。
 
中村 なんとかしようという機運が高まってきました。それをもう一歩踏み込んで、国の事業の一環として支えていただきたいものです。今日、観光立国として国は相当な期待を持ち、その機運が高まってきつつあります。それを支える大きな柱の一つが「食」、つまり高度な食文化の在り方ですからね。
 
大沢 そうなんですよね。だから例えば日本では、和食・日本料理文化を広めようという機運が大いに高まっていますが、一方で日本料理を理論的に、かつユニバーサルに教えていくスタンダートというものはまだ作られていないんですよ。和食文化を広めるにはそれなしにはありえない。後10 年たったときに、世界、例えばフランス人のコックさんが高度な日本料理を作ることがあるかと言われたら、ないと思うんですよ。もっと先になってしまう。それはやはりスタンダードがないからです。中村 現場レベルの料理人の方々は現状を理解され、それなりに努力されていると思われます。日本料理と一口に言っても、北から南まで風土によって異なります。その上、さまざまな「流儀」があります。それを組織的に統一されたものとして、一つのスタンダードが作られたら良いですね。
 
大沢 本当にそう思います。日本料理とフランス料理の二つとも、食文化としてはユネスコに同等に認められて世界遺産になっていますけども…。
 
中村 でも、フランス共和国では、美食を支える食材の生産者がどれだけ努力をしているのか、その実態と制度などを比較してみると、何がどのように違うのか分かる気がします。日本には優れた食材生産者の方々がいるわけですから、その方々をバックアップするためにも、国主導による基準制度の整備にかかっていますね。

大沢 そうなんですよ。そこがとても心配なところですね。フランス料理の強さというのは、中世の昔から過去を全部まとめて書き残して次につなげ、記録がちゃんと残っている。記録することの大事さというのはものすごく感じますよね。
 
中村 それも単なる作り手だけではなくて、食べ手、ガストロノミーの見地からの資料や記録も全部あるじゃないですか。それらは食文化としてきっちり後世に伝え残す責任を果たすことになると思います。
 
「継承の場」としてのコンクール
日本のサービス業界の底上げ
 
大沢 サービスにしてもそうです。少しサービスの話に戻りますけども、1980 年代の終わりごろ、88 年に初めてそうした講習会をやったと申し上げましたけども、まだそのころってサービスがプロの仕事という社会的認知がぜんぜんなかったんですよね。それは前に対談されたアンドレ・ソレールさんも大変ショックだとおっしゃっておりました。
 
中村 本来、調理とサービスが一体となり、その高みに至ることが望ましいですね。要は、サービスとして独立した職業に対する誇り、つまりプロ意識が育つ土壌が欠けていたように思われます。つまり、一つの職業としての魅力がどれだけ満たされているか。フランスではギャルソンは一つのプロの仕事として成り立ち、メートル・ドテルは尊敬される立場です。そこにプライドも名誉も両立しています。一方で、どうも日本ではそこまでに至っていないような気がしています。
 
大沢 そうですね。だけどレストランって、料理とサービスがないと絶対に食べ手が良い時間を過ごせない。間違いなく大事だということだけは直感的に思っていたので、そういうセミナーを立ち上げました。実はフランスの方でも、サービスの方々と長くお付き合いをしていると、波を感じることはありました。それこそ昔のピラミッドのフェルナン・ポワンさんの時代には、料理人が10 人でもサービスは20 数人いて、それでも収入はサービスの方が上というような。
 
中村 今では少し変化しているようですが、以前はサービス料のすべてがサービススタッフの特権としてその地位に見合った方で分配されており、職業として立派すぎるほど成り立っていましたから。
 
大沢 ものすごく成り立っていましたね。社会的地位も高かった。それがヌーベル・キュイジーヌで皿盛り一辺倒になったことで下がっていって、そこに来る若い人も減っていきました。そういう中でもサービスのコンクールの『クープ・ジョルジュ・バティスト』というのを、60 年代終わりのヌーベル・キュイジーヌが盛り上がってきたころからやっているわけですよ。「コンクールによって伝えていかないとこの先どうなるのだろう」という危機感がありました。私はコンクールというのは一つの継承の場だと思うんですね。
 
中村 全く同感です。継承の場であり、また進化を目指す場でもありますね。
 
大沢 そこで「コンクールに25 歳のときに参加して優勝した」「優勝できず残念だった」といろいろな人がいて、彼らが10 年後には審査員になるわけじゃないですか。コンクールというのは世代がつながっていくということだと思うので、これを日本で94 年に立ち上げました。それには二つ意味があって、一つには「栄光のないところには才能は集まらない」ということ。とりわけサービスに関してはそう思い、そういう場を作りました。もう一つは、それによって交流していくということ。日本とフランスの交流にもなるし、世代の交流にもなる。料理とサービスを一度にやることで二つの違う業界の交流にもなり、絶対にそれは必要だと思います。
 
中村 大沢さんがやられたことは非常に素晴らしいことで、日本のサービス業界の底上げというか、サービスの本来の意義というものを日本にもたらしたと思っています。
(Part4 へ続く)

大沢晴美
Harumi Osawa
1980年代半ばよりフランスへ留学。留学中にフランス料理とレストランサービス、ワインに出会い、帰国後、ファッション業界を経てフランス食の世界へ。88年よりパリ商工会議所の委託により、フランス料理留学を実施。90年 パリ市商工会議所と東京ガスの協定による、「フランス料理文化センター」(FFCC)を開設。94年から料理とレストランサービスの日本全国レベルのコンクールを主催。このフランス料理とレストランサービスコンクールを継続するために、2017年4月に「フランスレストラン文化振興協会」(APGF)を立ち上げ、代表に就任。また日本の食文化を世界に発信するために、パリで日本料理の講習会を開催、フランス各地の星付きレストランで和牛のプロモーション企画を実施するなど、日仏双方向の食文化交流に尽力している。2001年フランス政府よりフランス農事功労章シュヴァリエ、10年同オフィシエ、15年フランス国家功労章シュヴァリエを受章。

中村勝宏
Katsuhiro Nakamura
1944 年鹿児島県生まれ。高校卒業後、料理界に入る。70 年渡欧。チューリッヒの「ホテルアスコット」を皮切りに、以後14 年間にわたりフランス各地の名だたるレストランでプロの料理人として活躍する。79 年パリのレストラン「ル・ブールドネ」時代に、日本人としてはじめてミシュランの1 つ星を獲得。84 年に帰国。ホテルエドモント(現ホテルメトロポリタン エドモント)の開業とともにレストラン統括料理長となる。2003 年フランス共和国より農事功労章シュヴァリエ叙勲。08 年の北海道洞爺湖サミットでは、総料理長としてすべての料理を指揮統括する。10 年フランス共和国の農事功労章オフィシエ叙勲。13 年日本ホテル㈱取締役統括名誉総料理長に就任。15 年クルーズトレイン「TRAINSUITE(トランスイート)四季島」の料理監修。16 年フランス共和国農事功労章の最高位「コマンドゥール」を受章。

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