建築家、隈研吾氏とチームを組み、2020 年の東京オリンピック・パラリンピックのメイン会場となる新国立競技場の建設に向けて動き始めた大成建設。オリンピック・パラリンピック担当役員として手腕を振るう芝山哲也氏は、オリンピックはもちろん、さらにその先の未来を見据えた施設活用のビジョンをはっきりと描いている。新国立競技場のコンセプトから新時代のホテルに求めるものまで、日本、東京をデザインしていくために必要な考え方について、芝山氏に話を聞いた。
設計者と施工者がチームを組み
一緒に考えて造る形が理想
――ご自身と「HOTERES」との出会いを憶えていますか。
大成建設設計本部に入社して数年経ってから、私はホテルチームに引き抜かれました。ニューオータニ ガーデンコートの案件が始動したのです。ホテル経営の安定化を図るために、空いていた敷地にオフィスタワーを建てて、ホテルとオフィスが一体化した施設を創ろうという計画でした。当時の発想としては革新的でしたね。
インテリジェントビルディング、スマートオフィスという言葉が流行り出したころで、まだそういった施設は日本に一つか二つしかない時代でしたから、海外視察をしようということになったのです。そこでホテルの方と、アメリカとヨーロッパを数カ月間、視察してまわりました。その機会にとにかく一番いいホテルに泊まって、一番いいものを食べようということになりました。私はまだ30 歳前後と若かったので、「ああ、こういう世界があるのか」と新しい経験をさせてもらいました。
そのときに情報収集に活用させてもらったのが、「HOTERES」でした。当時は確か最後のページにカラーグラビアの海外情報が載っていて、それを一生懸命集めたのです。私にとって、それが「HOTERES」との出会いでした。
――その時期、大成建設はかなりの数のホテルを手掛けていたという印象があります。
ホテルオークラ、ホテルニューオータニに象徴されるように、あのころは「ホテルの大成」と言われていたほどです。1964 年の東京オリンピックが契機となり、高度経済成長に合わせてさまざまな技術がホテルに凝縮されていく時代でもありました。今と違って、「造りながら考える」「考えながら造る」というやり方で、オータニでもコンクリートのバスユニットやプレハブ化などの技術が開発されました。
――短期間で竣工するためには、最高の手法でした。
今は石橋を叩いて渡らなければならない時代になりましたが、当時は遮二無二前へ進める時代でした。目標に向かって、とにかくみんながアイデアを出し合ってね。振り返ってみると、あれが理想的なやり方だったのかもしれません。設計者と施工者がチーム一丸となって考えるという姿勢でホテルづくりに臨んでいました。
2020 年の東京オリンピック・パラリンピックに向けて動き始めた新国立競技場においては、設計と工事を一括し発注する「デザインビルド方式」が注目を集めています。従来は「設計された図面に忠実に造るのだ」という正確さが施工業者に求められてきたのですが、今は一緒に考えていかによりよいものを創り上げていくかに重きが置かれるようになってきています。
設計者と施工者がお互いに尊重しながら、最初から一緒にやっていこうという考え方は健全であると私は思っていますが、そのことを建築家の隈研吾氏も理解されていました。こうした共通認識を根底に持てたことが、今回の新国立競技場のチームづくりへとつながったのだと思います。
新国立競技場のデザインについては、一度白紙になってから「日本らしさを追求してほしい」という世論が大きくなっていきました。そのときに私達が考えたのは、「やはり木材の利用で、現代の技術の粋を集めなければいけない」ということでした。また、最初の案のときに「人が歩くところにこんなに大きな壁があったら、とても環境にやさしいとは言えず威圧的だ」という意見もあったようです。私たちはその意見を受け止めて、その場所を歩く人たちにとってもやさしい建築を目指さなければいけないと考えたのです。
その点でも隈さんはいくつも実績を持っていますし、適任だと思いお願いしました。