野田 一夫氏 Kazuo Noda
はじめに
私が90 年の人生を振り返り、「・・・ホテルを日常的に利用する身になったのは、中年過ぎ・・・」と書き出すと、読者の多くは恐らく、「この人は地方育ちで、家庭も豊かでなかった・・・」と推察なさるだろうが、それは誤解だ。私の父親は日本の航空技術者の草分けで、私の生まれた頃は三菱航空機製作所の要職にあり、名古屋の同社社宅に生まれ育った私は、小学時代には地元で、一応“ 坊ちゃん”として遇せられていた。そして、父親を心から尊敬していた私は、「大人になったら、お父さんのような航空技師に・・・」と志す元気一杯の“ 航空少年”だった。当時すでに名古屋にも幾つかホテルはあって、私も両親に連れられて何回か行った記憶はあるものの、あの時代、ホテルは所詮“ 女子供の行く所”ではなかったのだ。