- 「ラグジュアリー・バイブル」
発行人 - 中山清美 プロフィール
昨年、World Economic Forumで次世代のリーダーとしてYoung Global Leaderに39歳で選ばれたロリー(左)と妻のメリタ 写真:(C)Hiro Matsui
二人の出会いは2003年、ニュージーランドのオークランドでした。ロリー・ハンターは大手広告代理店の有能な幹部、メリタはオーガニックデザインの仕事をしているというオージーのカップルです。
2005年、ロリーにカンボジアのプノンペンで広告代理店を始めないかというオファーが舞い込み、結婚した二人は「まあ、1年かそこらの話だろう」と快諾、未知の国へと飛び立ちました。当時のプノンペンは舗装道路も信号もない、車もめったに見ないという疲弊した状況でした。交通機関といえば、シクロ、ツクツク、自転車、バイクといったところ。しかし、半年後には街は活気に満ちてきます。車が乗り入れ、信号も設置されました。
「国の再建に賭けるエネルギーを感じましたね」(ロリー)
写真:(C)Hiro Matsui
翌年、クメール人の友人にかねてから聞いていたカンボジア南西部のコーロン群島に、釣り船を借りて2週間の小旅行に出かけることにしたのです。二人は手つかずの自然と白砂のビーチに魅了されました。
旅の最後の日、ランチを摂ろうとオウエン島という小さな島に立ち寄りました。しかし、そこはゴミだらけ。カンボジア本土の他の土地よりもっとひどい状態でした。けれど、その小さな島が、ふたりの人生をそれまでとまったく違うものに変えてしまうのです。
そこには漁を営む家族が棲んでいました。20年間、ごみは捨て放題、鶏や豚が走りまわっています。海にも周りの漁師らとおなじくごみを放り投げ、すでに漁も困難な状況にまで追い込まれていました。と、家長の男が「この島、買いませんか。わたしら、もう漁もできそうにないし、本土に帰りたいと思ってるんですよ」と思いもかけないオファーを出してきたのです。
1週間後、彼ら夫婦はバッグに現金を詰め込んで、再びその島を訪れました。
「とにかく何でもできそうな気がするエキサイティングな土地でしたからね」(ロリー)
島の値段はわずか1万5千ドルでした。そして、二人はこの島をカンボジア初のプライベートアイランドリゾートに変えるビッグビジネスに突入したのです。
まずは“われらが島”のごみ処理から始めました。
「村のみんなに手伝って欲しいとお願いして回りました」(メリタ)
海を綺麗にすればサンゴ礁を守れば魚たちも戻ってくるだろうという信念のもと、彼らは80トンものゴミを2年かかって処理したのです。そして政府と協力してカンボジア初の海洋環境保護地区を作り、12エーカーの禁漁区を設けた結果、1年後、魚たちは戻ってきました。
写真:(C)Hiro Matsui
カンボジアでは“所有”するという概念がまだ薄い時代でした。誰も島を所有するという概念がわからない。つまりはハンター夫妻はカンボジアで島を購入した初めての外国人だったのです。
莫大な投資も必要だったので、フォーシーズンズやサンフランシスコの投資会社などに持ち込みましたが、なかなかうまく行かない。そんな中やってきた2008年のリーマンショック、そしてさらに追い打ちをかけるようにメリタが子宮頸部癌を発症、ついには療養生活を余儀なくされ、オーストラリアへ帰国したのです。
しかし、半年後、手術から快復したメリタと共にカンボジアに戻ったハンター夫妻は勢力的に活動を再開します。海洋保護区の管理はコーロン群島のプレクスヴェイ村に棲むわずか645人の村民に託しました。
メリタが苦難の日々を語ります。
「私たちはいろんな教育の機会を提供することで村民の信頼を得てきたのです。最初の頃、漁師たちに私たちの意志を伝えても誰もやってこない。長い道のりでした。2013年にはSong Saa Foundationを設立して、環境保護、教育、健康医療管理を強力に推進してきました。そんな中から私たちのリゾートの形が見えてきたのです」
政府も観光という新たな資源に目を付け始め、画期的な開発が必要ということに気づきました。困難な多くの障壁を乗り越え、2012年にオープンしたSong Saa Private Islandには、すでに2500万ドルが投資され、わずか数年で数々の賞も受賞、その価値は3000万ドル以上と言われるほどの高級リゾートに育ちました。しかし、このリゾートを成功は、ハンター夫妻の地元に対する献身的な努力と地域に対する深い理解がなくてはあり得なかったのです。