今回はクリエイティブディレクターとしてウエディングやアパレル、レストランなど多方面で才能を発揮されていらっしゃるワキリエさんにご登場いただきました。ご実家が岡山県で家具屋さんをされており、弟様お二人と協業したお仕事もされていらっしゃいます。ワキリエさんの今日はまさしく大好きな“ おばあちゃん” がいらっしゃったからこそ。ご結婚もされお子様もいらっしゃいます。ワキリエさんの仕事に対する向き合い方や考え方などをお聞きしました。
濱野 ワキリエさんのブランディングディレクター力は多方面で注目され、かかわられたウエディングドレスやレストランなど花開いています。今日のワキリエさんを作り上げたものは何か、またプロジェクトを指揮するプロデューサーとして大切にされていることなどをお聞きできればと思います。まず始めにこれまでの経緯をお聞かせいただけますか。
ワキリエ 裏は山、前は田んぼという岡山県の田舎で生まれ育ちました。とにかくおばあちゃんが大好きで“おばあちゃんが死んだら私も死ぬ”と言っていたほどです。春、秋の七草のことや花飾りを手作りで作ったり、いろいろなことを教えてくれました。まさに自然と一緒に生きていましたね。おばあちゃんは昭和2 年生まれで現在も元気です。かつてはトラックを運転して家具を運搬していました。私の母のお母さんがおばあちゃんで、母はよく“おばあちゃんの寝ている姿を見たことがない”というほど働き者でまさにキャリアウーマンだったのです。おばあちゃんが45歳のときに私が生まれたことから家具屋も父母の世代に交代し、孫である私の面倒をまさに無償の愛でみてくれたのです。家族で商売をしていましたので、仕事とプライベートの境がなく、生きることは仕事をすることでしたね。私は小さなころから母に“女も生涯働き続けなければいけない”と厳しく言われてきましたので、家庭を持っても仕事をすることに対する抵抗感はなく自然体で取り組んできました。
濱野 おばあちゃんの無償の愛に包まれてお育ちになったのですね。それからアメリカに留学されたのですね。
ワキリエ 商業アートを学び、帰国後、広告代理店を経て2004 年に独立しました。そしてカメラマンである夫と2001 年に結婚をしました。当時、型にはまったものではなく自分らしい結婚式を挙げたいと思っていましたがNG でした。その思いもありウエディングにかかわる提案をし続けていく中でドレスや会場などからお話をいただくようになり、2008 年、子どもが生まれる年にこれまでの実例を一冊の本にまとめたのです。