Jigger & Pony Groupを率いるBar Programme Directorの江口明弘氏
Asia's 50 Best Bars 2023が発表された。アジアのバーシーンでシンガポールの躍進が目覚ましい。その背景には何があるのだろうか。日本も技術やオーセンティシーでは引けを取らないように思われるが、停滞や閉塞感を感じているバーテンダーもいると聞く。
シンガポールから学ぶべきことは何なのか。2016年からアジアのベスト・バー50の常連であり、2020年には第1位に、そして2023年は第2位に輝いたJigger & Pony、そのグループを率いる江口明弘氏に時代を振り返りながら、躍進の源についてお話を伺った。
久々の連休でシンガポールへ。すっかり惚れ込み、現地で直談判
▶シンガポールでお仕事をされるきっかけは何だったのでしょうか?
私は岩手生まれの横浜育ちで、20 歳の頃に横浜中華街の老舗ジャズバーで働き始めました。自身の店を持つのが夢で、海外で学びチャレンジをすれば幅が出るのではと思い、5 年間の修行を経てシンガポールへ移りました。シンガポールに決めた理由は、英語圏であることと、姉妹店があったことが大きな理由です。当時、初めての海外ということもあったと思いますが、久々の連休をいただいてシンガポールを一人で訪れ、多様性や現地でご活躍されている日本人の方々を目の当たりにし、圧倒され、自分もこの道に進むしかないと信じ、バーCable Carを経営されている市川央さんに直談判し、働かせていただけるとの了承をいただきました。日本へ帰ったその足で当時勤めていたバーに辞表を出しに行き、それが2006 年でした。2007年の初めにこちらに移り、今年でシンガポールに来て17 年目になります。
▶ 17 年ともなると様変わりもしたかと思いますが、コロナ禍含めいかがですか?
今思うと国自体の様相は変わったかもしれませんが、シンガポールは常に40 年先を見据えて国家開発をしている国です。日常生活している中では、国自体が変わったという感じはあまりしません。日本人観光客については、マリーナベイ・サンズができてからシンガポールのイメージが変わってきたということがすごく伝わってきました。私が日本を離れる時は、周りにはまだシンガポールに対して発展途上国のイメージを持っていらっしゃる方もいましたが、今は全く違う見方をされている方も多いのではないでしょうか。
コロナ禍中は、シンガポールでもサーキットブレーカーというロックダウンのように外出を制限される時期が繰り返しあり、その時期はカクテルとフードのデリバリー販売を行ってなんとかしのいでいました。大変ありがたかったことにカクテルのデリバリーが非常に好調で、多い日には1 日400 杯近く作っていました。フードデリバリーも行っていたのですが、フードは競合が多かったのに加えカクテルバーとしての認知が大きく、カクテルの方が断然売れていました。通常だとアルコールのデリバリーは特別なライセンスが必要なのですが、期間中は政府が特例で認めてくれていました。通常営業が出来なくなったのでシンガポール中の飲食店が一斉にデリバリーを始め、配達員が足りなくなるという状況にもなりました。私たちもデリバリーのオーダーはどんどん入るのに、配達してくれる人がいない状況に陥りましたが、タクシードライバーの方々にお願いをして独自のデリバリーシステムを構築してなんとか対応をしていただいたのを覚えています。
そうこうしている間にアルコール提供が22 時半まで可能になり、適切な距離と人数を保ってなど様々な制限付きですがようやく営業ができるようになりました。元々シンガポールの方々は飲食や旅行にお金をかける方が多いのですが、旅行が全くできなくなったのと、ようやく外での飲食が解禁されたことが重なり、シンガポール中の飲食店がバブルのような状況になりました。高級レストランほど値上げを敢行し、バーでは時間制ということをご理解頂きテーブルの回転率を上げ営業を再開していきました。
▶ノン・アルコールであったり、酒類トレンドの変化はいかがですか?
ここ最近よく話が上がるノン・アルコールについては、新しい商品もまだまだ出てくる気配もあり、今後も伸びしろがある感じです。ゲストに聞かれる機会も確実に増えましたが、全体の売上からすればまだまだ大きくないのが現状です。
酒類トレンドに関しては、日本との比較で特定カテゴリーの酒類が特に売れているといった印象はありません。ただ、シンガポールのカクテルバーの特徴として、ベースのスピリッツは日本で一般的に使われているようなベーシックなものを使うことがあまりありません。これはシンガポールの方々がプレミアムなものにはそれ相応の対価を払うことにあまり抵抗がないということもありますが、酒税によるところも大きいと思っています。商品の値段に関係なく、アルコール度数に対して酒税が課されるため、プレミアムなスピリッツの方がお得感があるからです。
過去10 年は世界的に見てカクテルバーが盛り上がり、新時代到来だったかもしれません。様々なバーもできましたし、国を超えてバーテンダー同士の交流も盛んになりました。新しいコンビネーションや素材、ロータリーエバポレーターなどの研究室で使われるような機材を使うこともトレンドになりました。シンガポールもまさにその流れに乗っていたと思います。トレンドになるかはわかりませんが、今後はそれを発展させ色々な角度からクオリティを高めていくことが重要になってくるのではないかと個人的には思っています。
Menuzineの様子。是非webでもこのMenuzineを公開されているので、一度見てほしい。流通との繋がり含め、素晴らしい1冊だと思う。
成長の背景には共に学び共に支え合う、コンヴィヴィアルな関係とコミュニティ基盤がある
▶雑誌風のメニューも印象的ですが、中でも「コンヴィヴィアリティ」という言葉が素敵ですね。教育含め社内のマネジメントはどのようにされているのですか?
Jigger & Pony では雑誌風のMenuzine(メニュー+マガジン)をメニューとしてご用意しております。様々な企業様からご協賛頂いて年1 回、バーチーム、マーケティングチームそしてデザインチームが共に力を合わせて製作しています。今回は8 カ月程かけて上梓しました。理念やバリューとは別に「コンヴィヴィアル」と「クラフト」を、Jigger & Pony を体現する共通言語として社内で共有しています。中でもコンヴィヴィアルは、英語圏含め、それほど一般的な言葉ではないと思いますが、Jigger & Pony のホスピタリティーを一番具現化した単語だと思っています。
スタッフの教育とヒューマンリソースのマネジメントは、特に力を入れている領域です。国を問わずプロであるバーテンダーとして向上していくマインドセットは重要だと思っており、テストなどを通して常に勉強をするカルチャーを造成しています。また私どもの会社には、バックオフィスを含め130 人のスタッフが15 カ国から来ています。これをまとめるのは非常にやりがいがあると共に、至難の業でもあります。年に一度パフォーマンスレビューを行い、昇級するには規定のテストに合格するだけでなく、理念とバリューをどれくらい理解し体現できているかの比重をより大きくし評価しています。そうすることで、クオリティやバーテンダー自身の質を高めることは当然ながら、バックグラウンドの違う国からきても価値観のすり合わせができます。
自分が若かった頃にはバーテンダーとして将来への不安が大きかったのですが、ランクを設定し、半年か1 年に1 回パフォーマンスのレビューをすることで、自分の3 年後や5 年後、10 年後の姿が見えてきますし、ある程度の給与水準も分かってきます。入社の面接をすることも多いのですが、学ぶ習慣のない環境にいた方もいたりします。ただただ日々の業務に忙殺されバーテンダーを長年されているのに基本的な知識がない方もたまに見られます。テストやトレーニングを通じて向上できる環境を整えてあげることは、特にモチベーションに繋がっていると思います。そしていいバーテンダーというのは、ただ単にカクテルを作る能力だけでなく、チームをリードすることや健全な環境を作れているかなども大切だということも理解してもらえていると思っています。Jigger & Pony はシンガポールの中も非常に離職率が低く、みんな長く働いてくれています。
Vinexpo Asia 2023での様子。江口氏を含むシンガポールを代表するTOPバーテンダーによるディスカッションが行われた。
▶シンガポールバー業界の良さは何でしょうか?
シンガポールのバーシーンの一番の良さは多様性です。本当に様々なスタイルのバーがあります。そしてシンガポールの方々は、新しいものに対して非常にオープンで、新しい味わい、新しい経験や体験をしたいという方が多く、新しいレストランやバーができるとすぐに行きます。カクテルの新作メニューローンチ日には、それを目当てで多くのゲストがいらっしゃいます。
それに、バーコミュニティの結束が非常に強いのも特徴です。排他的な意味ではなく、多くの方がいい意味で他所者であり古参者のような縄張り意識がないのでフラットな関係性で繋がっています。様々な国からトップバーテンダーがシンガポールに来て働いているので、新しいテクニックやレシピなどを教え合ったり聞いたりすることも垣根なしにできる関係性がここにはあります。このバーコミュニティの存在が「なぜシンガポールが短期間でインターナショナルレベルまで向上したのか?」という問いに対する主要な答えだと思います。
バーの多様性と友好的なバーコミュニティの2 点はシンガポールバー業界の特徴であり、様々な国際的なバーのアワード受賞に繋がっています。マーケットのサイズは小さいですが様々なブランドが投資する意味を見出してくれて、ゲストバーテンダーを海外から招聘することも当たり前のようになり、海外に行かずとも色々なカクテルやバーをシンガポールにいながら体験できるようになりました。ありがたいことにそういったシンガポールのバーシーンに、シンガポール政府も意味を見出そうとしてくれており、政府の観光局がどんどん働きかけて、World’s50 Best Bars、世界最大のバーショーBCB(バー・コンベント・ベルリン)、世界最大のウィスキー見本市Whisky Live、バー業界最大の祭典Tales of the Cocktail といった世界規模のイベントがシンガポールで開催されることがアナウンスされています。アジアの中では地理的な優位性もありますが、資源の乏しいシンガポールがどうやって注目を集め誘致活動を行うかということが官民上手くかみ合っている状況です。特に注目されることも無かったシンガポールのバーシーンが世界的に注目されるように貢献できていることは、シンガポールバー業界の一人としてとても幸せであると思っています。
▶そうした雰囲気や勢いは日本と対照的な気がします
シンガポールと同じようにソウルやバンコク、台北などはどんどん若い世代のバーテンダーたちが新しい感性でバーをオープンし、それが若い世代に受け入れられ、勢いと活気があります。日本には日本の良さがありますし、全て海外のバーのようにすれば良いとも思っていません。海外で受けることが日本では受け入れられないこともあるでしょうし、またその逆もあると思います。しかし、海外に比べてスタイルが一辺倒なバーが多い気がします。
伝統やマナーを重んじるバーも多く、いわゆる日本のオーセンティックバーは特に若い飲み手には排他的な印象があるのではないでしょうか。バーテンダーでありYouTuber でもある大御所が、バーにおけるゲストが守るべきマナーを語っているのを見た時には愕然としました。人として最低限のマナーは当然必要ですが、それは私たちバーテンダーがお店の雰囲気を保つために気にしていれば良いのであってゲストに強いるものではないからです。
お酒をよく飲む世代はやはり20 代30 代が中心です。私のような40 代になるとどうしても飲酒量は減ってきます。特に日本の若者はお酒を飲まなくなってきていると聞きますので、若い世代が入ってきやすい間口の大きなお店が日本にも増えると良いなと思います。実際日本に帰ると流行っているバーは外国のゲストで溢れかえっていて、いわゆるオーセンティックなバーではなく海外のものもうまく取り入れている活気あるバーであることが多いです。
バーのグローバルブランドを目指して。海外進出で企業として新しいステージへ
▶今後、どのようなことにチャレンジしてみたいですか。
現在、シンガポール国内にバーを4 店舗、レストランを3 店舗経営しています。今後はシンガポール以外の国への出店に挑戦したいと思っています。実は今年香港に出店予定があったのですが、残念ながら最後の最後で立ち消えになってしまいました。ですが、海外出店は諦めずシンガポール以外の国で今年の後半から来年の頭に出店する予定で話を進めています。
会社が成長すると共に人も成長する環境をどんどん作っていった10 年間でした。結果7 店舗まで成長することができましたが、シンガポールでビジネスを今までのように進めていくのは段々と難しくなってきていると思うことも多くなってきました。材料費や家賃、建築費など全てのコストが年々上がり、給料も当たり前のように毎年上げなければならない、そして個人がやりがいをキープし成長するスペースを作るために新しいお店を開ける。この忙しいサイクルを続けていくには必然的に次のステージに行かなければならないと思っています。
日本でお店をやるためにシンガポールに来たはずでしたが、今はJigger & Pony をグローバルブランドに育てていきたいという新しい目標ができました。バーテンダーだけのスキルのみではどうにもならないところまで来てしまっています。新しいスキルを身に付けなければいけない重圧や何をどうすれば良いのか不安にも襲われますが、今はそれを心地よく感じています。
2023年5月25日シンガポールにて取材
【注記】
もしコンヴィヴィアリティについて気になる方は、週刊ホテルレストラン2023年6月9日号〈特集I〉 未来の観光とデザイン P28 (株)インフォバーン 取締役副社長/デザイン・ストラテジスト 井登 友一氏『顧客中心だからこそ顧客のみを見ない 現在進行形で変わるためのサービスデザイン』を一読頂きたい。エンパワーメントを含め、サービス組織の在り方とはの一考になれば幸いだ。
担当:小川