フランス東部の都市リヨンは美食の都として世界に知られている。周辺にはブルゴーニュやローヌのワインを生産し、近代フランス料理のルーツとも言えるシェフ、フェルナン・ポアン、ポール・ボキューズが活躍した食材の豊かな地である。そこで隔年に開催される「SIRHA/シラ食品見本市」、今年は40年目を迎えた。この見本市は140000平方メートルもの広大な会場での食の展示はもちろん、二つのフランスを代表するコンクールのために世界中から多くの人が集まると言っても過言ではない。
その二つとはポール・ボキューズの名を冠した料理のコンクール《ボキューズ・ドール》。そしてお菓子のコンクール《クープ・デュ・モンド・ドゥ・ラ・パティスリー》である。筆者はコロナ禍で行けなかった2021年を除き、2001年より11の大会の現場を見ているが、今回二度目の日本の優勝は本当に素晴らしかった(2007年優勝と今回です、1991年優勝は見ていません)。この《クープ・デュ・モンド・ドゥ・ラ・パティスリー》は1989年に始まり、日本は初回から参加国であり、今回の優勝は三度目だ。
過去5大会がいつも2位でそれも僅差という結果に毎回日本チームは悔し涙が止まらなかった。その屈辱を晴らす素晴らしい優勝のニュースは1月22日未明に日本に届き、23日の日本の新聞各紙にも大きく報道された。同時にフランス国営TVの夜8時のニュース、そして翌朝8時のニュースでも報道されフランス全土に「日本がお菓子の世界コンクールで優勝!」が伝えられたのである。ニュースを見た在仏日本人はおそらく、日の丸を嬉しそうに翻す団長以下、女性パティシエを含むメンバーの喜ぶ様子を見て感激したと思う。
この《クープ・デユ・モンド・ドゥ・ラ・パティスリー》がどれほど権威あるコンクールであるか、少しお伝えしたい。1989年にフランスのパティシエ、ガブリエル・パイアッソンとフランスのチョコレートメーカー「ヴァローナ」によって設立されている、34年の歴史があり、今年は18回目の大会であった。現在はピエール・エルメが会長を勤めている。エルメは今回の開催最初の挨拶にもこの大会を創立してくれたパイアッソン氏に敬意を表していた。この大会に日本は皆勤賞で参加できているが実は世界50カ国が予選を戦い、本戦に参加できるのは17ヶ国に限られる。日本は過去に優勝2回、2位8回、3位1回と好成績を収めているが、2013年からは毎回僅差で2位に留まり、悔しい思いを抱いていた。
今回のコンクールには飴細工の鈴鹿成年氏、チョコレート細工の髙橋萌氏、そして氷の彫刻、アントルメ、皿盛りデザート、アイスのデザートに加え今年からフローズンロリポップという小さなお菓子を担当する柴田勇作氏の3名が出場した。これらを規定の時間10時間で作り展示するというものである。日本の参戦は開催2日目で、強敵フランスと同じ日であった。メディアのカウンターに行くとちょうど飴細工が出来上がったところだった。それを見た瞬間、直感で「今年はいける」と感じた。《鯨》の勢いある、そして完成度の高い作品は他の国とは一線を画していたからだ。
ところが飴担当の鈴鹿成年シェフがその作品を動かせない、といった顔つきで手のひらを胸に当てて深呼吸している。今までに何度も作品の提出時に、せっかくの傑作を壊してしまう国が何カ国もあるし、床に滑りやすい液体をこっそり流したり、という意地悪もある。ここで「大丈夫、がんばれー!」という「辻フランス校」の生徒さんたちの応援が一際盛り上がり、無事に飴細工を運ぶことができた。コンテストのテーマの「気候変動」を再生可能なエネルギーである風力発電に置き換え、お菓子で表現した見事な作品が完成した。この時点で審査員やコミッティーのメンバー(ルレデセールメンバーによる委員会)が続々と集まり、自分の携帯で写真を撮ったり、と審査の前から注目を集めていた。
優勝チームの女性パティシエは2001年アメリカのエンミンスー以来と言う。日本のパティシエールの皆さんには大きな励みになったと思う。次回の2025年大会でも日本の活躍を心から応援したい。
取材 内坂芳美
《クープ・デュ・モンド・ドゥ・ラ・パティスリー》日本が優勝
2023年04月03日(月)