----そして 2年後に大阪に戻られました。
はい。大阪初の外資系ホテルが開業することは分かっていましたので、それを狙ってヒルトンに就職し、もともと目指していた営業マンに着任しました。その頃、45歳までには総支配人になることを決めていたのです。とのかく常に上層思考で上を目指すことで、自身を奮い立たせていたのだと思います。その後、ヒルトンの先輩からお声を掛けていただき初の海外、シンガポールのホテルに就職し、以後、台湾、フィジー、ロシアのホテルでキャリアを積んできたのです。各国でとても公表できない体験をしましたが、海外のホテルで学んだ経験からホテル業における“社会貢献”、企業としての社会的責任である“CSR”の重要性に気づかされたのです。
社会貢献活動のプレス化への違和感、一蹴
----社会貢献、CSRの重要性に気づかされたきっかけはどのようなことがあったのですか。
フィジーのホテルの総支配人を務めているときでした。尊敬するニュージーランドの元上司から“Masao、社会貢献活動はやっているのか”と聞かれたので、“小児がんの子どもを集めたキャンプなどをやっています”と回答すると、元上司は“そのような活動をしていることをプレスに出して、社会に周知させているのか”という質問が投げかけられたのです。私は“いや、そうしたことはしていません”と回答したのですが、そのときにプレスへの周知はすべきことと思っていましたが、社会貢献活動を宣伝的に利用することに“本当に良いのだろうか”という違和感があったのです。ところが元上司は“利益を一部還元して、社会貢献していることが周知されることで、初めてインターナショナルホテルの総支配人として世間から認められるのだ”と言われ、その言葉の記憶は今でも深く脳裏に刻まれています。
CSRは企業の社会的責任という観点から認識していましたが、このような活動を広く知ってもらうことの重要性までには至らなかったのです。多くの方に知っていただくこと、決して宣伝的な要素ではなく、特に人種差別なく、老若男女、人間を対象としたホテル業、観光産業においては、常にお客さまのために貢献することは当たり前のことであり、当たり前のことを可視化することで企業価値や業界、地域の価値が高まることを認識、確信したのです。
そして沖縄に着任したとき、人口 140万人の内、20万人が観光産業に従事する観光立県でありながら観光業による社会貢献活動の少なさを感じ、自ら率先して CSR活動に取り組み、沖縄県の観光振興、観光事業のブランディングアップのために尽くすべきと考えたのです。