オーナーの想いをつなぐ事業承継
----はじめに、これまでの温故知新の沿革と事業紹介をお願いします
当社は 2011年 2月、私が一人で創業しました。その 1ヶ月後に東日本大震災が発生し、意図したつもりはありませんでしたが一時期はすべての業務が復興関連となりました。現在はコンサルティングからホテル・旅館の運営に軸足を置いており、その上流過程としての企画、プロデュース、ホテルをつくる前段階のお手伝いもしています。
2015年 12月に開業した「瀬戸内リトリート青凪」が 2018年にミシュラン最高評価である 5レッドパビリオンを獲得し、これは外資系ではないホテルとして日本初の栄誉となりました。そのほか長崎県壱岐市に「壱岐リトリート海里村上」、神奈川県箱根町に「箱根リトリートf.re& villa 1/f」などを運営中です。 今後は大阪市に日本初のシャンパンホテル「Cuvee J2 Hotel Osaka」、岡山県玉野市に競輪スタジアムと一体化した「KEIRIN HOTEL 10」、山口県宇部市に洞窟レストラン「maison owlメゾン・アウル」をオープン予定です。
いずれも「デスティネーション=目的地になる宿」であり、地域に人を呼び込むきっかけとなり、その結果として、地域の文化を承継発展させていくことに貢献して参りたいと考えております。
----ターゲットを小規模、高単価の高級旅館などに絞り、多くの人が難しいと見る中で成功を収めてポジションを確保しているところがうまいビジネス展開ですね
戦い方にはいろいろな方法があるとは思いますが、当社は資本力では勝ち目がないので小規模特化型を狙っていくしかないと考えました。そこを主戦場としている競合が少なかったというのもあります。
----当初は再生案件も多かったように思いますが、どのような形で事業承継していくのですか
例えば事業承継一号案件の「壱岐リトリート海里村上」は、もともと「海里村上」という高級旅館をオーナーの村上さんが運営されていたものです。ご高齢で後継者もなく引退したいということで当社がバトンを受け継ぐことになりました。一般的な事業承継は会社や不動産を購入する形態ですが、当社はオペレーターなので、新たなオーナーを見つけてくる形をとりました。運営においては前オーナーが大切にしてきた「すべてにおいて本物を」「地域素材を生かした料理」「おもてなしの姿勢」「清潔感」など、そのまま旅館の基本精神として引き継ぎました。もちろんスタッフも受け継いでいます。当社ではこうした「想いをつなぐ事業承継」を事業の柱の一つとして掲げており、後継者不在の全国の旅館やホテルが大切にしてきたものを引き継ぎながら、時代に合わせた運営手法で継続発展させています。
----新オーナーは、温故知新にオペレーションを任せれば利回りが期待できるから出資するということですね。投資家は個人的なつながりの中から見つけるのですか
そうですね。温故知新がオペレーションするなら資金を出すと言ってくださる投資家もいるので、そうした出資者と売り主をつないで事業承継をしています。案件によって売り上げが当社に立つ賃貸借契約とオーナーさんに売り上げが立つMC形式がありますが、どちらにせよ精一杯やりますので運営方針に違いはありません。
----コロナ禍で賃貸借のところは厳しい経営状況となっていますが、貴社はいかがでしょうか
コロナ禍でも、均すと例年とあまり変わりませんでした。壱岐や箱根は運営開始 2~ 3年目にあたるので、コロナ前よりむしろ売り上げはアップしました。月単位で振り返ると赤字の月もありましたが、GoToトラベル・キャンペーン時は 100%に近い稼動でした。
----コンサルティング事業はいかがですか
以前はコンサルティング案件もありましたが、現在の主軸はオペレーションです。コンサルティングの場合、当社は結果を出しすぎて「もう結構です」となるパターンが多いので積極営業はしていません。体の具合が良くなると医者に行かなくなるのと同じかも知れません。
----どのように業績を改善していくのですか
やるべきことをきちんとやるだけです。当社の基本的なアプローチはコストを削らず、売り上げを上げていくことです。
そのためにコンセプトから見直すことが多いですが、このコンセプトの作り方が一番肝となる部分ですね。そのアウトプットとして、端的にはホームページを作り変え、OTAやウエブマーケティング対策を支援します。売り上げが上がれば、生産性は自動的に上がっていきます。
ただ、本当の意味で強い宿泊施設になるためには人材育成が鍵です。そのためにはスキルだけではなく価値観に至るまで教育していく必要があり、自社運営ではないコンサルの立ち位置でそこまでやるのはなかなか難しいですね。