「金泉」「銀泉」で知られる日本最古の有馬温泉。火山や人工的なものではなく、大地の恵みを蓄え湧き出ていた自然の温泉として、豊臣秀吉公も戦で疲れた心身を癒しに9度も有馬の地を訪れたという。
秀吉公は、中でも兵衛向陽閣の前身である「北の坊」を常宿にしていた。
兵衛とは兵を衛( まもる) という意味から秀吉公に名づけられたという口伝が残されている。
そこで今回は有馬の中でも最も歴史のある兵衛向陽閣、45 代目頭首である風早和喜氏に旅館運営における人材育成や今後の取り組みをお聞きした。
福永 有馬温泉は神戸市街や西宮・芦屋などから車で30 分ほどの位置にあり、私もよく有馬温泉には訪れました。年々、有馬の地に訪れる外国人観光客の数も増え、温泉街も活気にあふれています。
数ある温泉旅館の中でも兵衛向陽閣は最も歴史があるとお聞きしました。初めに今日までの経緯をお聞かせ下さいませ。
風早 創業は700 年以上前と言われています。以前は12 坊があり、当館は「北の坊」として運営していました。
江戸時代に有馬温泉は幕府の天領となり大きく発展しました。大正時代にはハイカラなシャンデリアを備えた宴会場を設けるなど、新しいものをいち早く取り入れていました。
昭和に入ると神有鉄道(現神戸電鉄)の開業や六甲有馬ロープウェーが開業するなど、交通が便利になりました。
昭和32 年にはふもとの駐車場から山頂にあった向陽閣の間、全長100 メートルのケーブルカーを設置したり、現在北館として運営している場所には9 階の空中庭園に屋外プールを設置するなど、皆さまに親しまれてきました。
今では「一の湯」「二の湯」「三の湯」の3 つの大浴場で有馬温泉特有の赤茶色の金泉をご堪能いただいております。