年間1万組を超える婚礼司会を手掛ける㈱ハセガワエスティ。
1994(平成6)年より形式にとらわれない婚礼司会をスタート。
個を重視する時代の流れの中で、列席者と一体感のある婚礼司会が支持され、今日ではラグジュアリー外資系ホテル含め幅広い業態で活躍している。
阿久津五代子社長とともに荒波を乗り越えてきた中で誕生したのがOFUKU だった。
長谷川高士会長のもう1つの顔「OFUKU」に太田進が迫る。

OFUKU
2018 年NYチェルシー映画祭 ショートフィルム部門 OFUKU-mother- が「BEST ACTRESS」主演女優賞受賞。2016 年1 作目「OFUKU」、2017 年2 作目「OFUKU MOTHER」に続き、カンヌ国際映画祭 ショートフィルムコーナーに3 作目「OFUKU-LOSE WAY」3 年連続入選。
降りかかってきた
20 億円の借金
―NY チェルシー映画祭 ショートフィルム部門でみごと主演女優賞を受賞されおめでとうごいます。婚礼司会も年間1万組を超え、司会者も200 人ほどに達しているとお聞きしました。そもそもOFUKU を演じるようになった経緯をお聞かせ下さい。
OFUKU 家業は家具店でした。創業は1908(明治41)年にさかのぼります。
桐だんす職人だった祖父が東京で一般家具や調度品などの制作、販売したことをきっかけに、父は千葉県で2 代目として家具店を切り盛りしていました。
しかし大型シッピングモールの進出や戸建てからマンションに生活が変わる中で、かつてのような重厚感のある大型家具を求めるニーズが減少し、あれよという間に20 億円の借金を抱えることになってしまったのです。
私も3 代目として継承していく流れの中で連帯保証人に名が連ねられていたことから、多額な借金を返済しなけばならない状況に陥ったのです。
とてつもなく大きな重荷にどうすることもできない、行き場を失い途方に暮れ閉塞感にさいなまれていたのです。
そんなとき、突然、何を思ったのか“ 和物の衣装を着てかつらをかぶってちょっと街中へ出かけてみよう” と思ったのです。
元々、学生時代から司会や演劇をしていましたのでしゃべる、演じることで現状から脱したいと思いついたのかもしれません。
―そのときの待ちゆく人の反応はいかがでしたか。
OFUKU とても冷ややかでしたね。当時は体重も120 キロありましたので、異様な、異常な人と思われたのでしょう。
目を合わさない人や子どもの手を引っ張って駆け足でその場を去っていく母親などさまざまでした。そんなとき、1人の女性がとても興味を持ってくれて“ 今度いつ来るの? ” と声を掛けてくれたのです。
そして約束した日に本当に来てくれて喫茶店でお話をしたりしている内にもっと楽しもうと思ったのでしょう。
銀座三越の前で踊ってみたり、デパ地下の売り場に立つとなぜかその売り場が売れるようになるなど、自分でも不思議なことが起こりました。
そんな中、ふっと根拠のない自信が急に降りてきたのです。
そのときは20 億円の借金を抱えている自分を俯瞰的に見ていました。そして答えは“ ひょっとしたらできるかも? ” と感じたのです。