―街場のレストランからホテルを選ばれたきっかけは。
確固たる目標があったわけではありませんが、「料理人としての基礎をしっかりと固めたい」、そう考えていたころ、当時働いていたお店にやってきたホテル経験を持つアルバイトの方からいろいろと刺激を受けたことがきっかけです。実際にホテルで働き始めると、ショックを受けることもありました。ただこれまでの経験やキャリアは一旦置いておき、一から覚えるという覚悟を持っての選択でしたので、心折れることなく、仕事に向き合うことができました。
現代ではストイックな方は街場のような印象もあり、技術の修得に限った話では、当時の事情とは当てはまらない点もあるかと思います。しかしながら、成長に関わる企業としての規模やキャリアの広がり、取りあつかう食材の量や種類など、普遍的なホテル優位の部分は多くあると思います。
―キャリアを重ね、今年7 月より伝統あるホテルオークラ札幌の総料理長へ就任されました。あらためて人材を育成する立場となられ、考えや取り組みについて伺えますか。
強く心にあることは、当ホテルで働くスタッフに対して、先人たちから引き継いだオークラらしさや意思、伝統といったバトンをしっかりと継承していかなければならないという想いです。ある種のプレッシャーでもありますが、私はこの「プレッシャー」こそが、人材の成長には欠かすことのできない要素であると考えています。よって「常に緊張感を持って仕事をしなさい」と日ごろより指導を行なっています。またそのため、自身も総料理長就任以前から基本的には厨房に入り、緊張感ある職場となるよう心掛けてきました。ただし接し方や現場での振る舞い方は、時代や年齢とともに変化し、特にここ数年は大きく変わったと自分自身も感じています。
―何かご自身の中で、大きな変化があったのでしょうか。
私ももともとは、いわゆる昔ながらの指導を行なう料理人でした。自分の中で厳しくあれというだけではなく、総料理長をはじめ先輩の姿がそのようであったため、これが正しい姿であり、指導法なのだと、どこか固定概念のようなものを持っていたのだと思います。そんな私を救ってくれたのもまた会社であり、先代の総料理長でした。「上から変わっていかないと、いつまで経っても現場は変わらない」、そんな言葉が、今のような考えに変わっていくきっかけとなったのです。変わった考えや接し方が正しいかどうか、成果があらわれるのはまだ少し先の話ですが、仮に不満を抱えたスタッフがいたとしても、上の立場の人間が変化を見せることで、理解を示してくれる部分もきっとあると信じています。