- 「世界のリーディングホテル」
ホテルジャーナリスト - 小原 康裕 プロフィール
現在の正面エントランスは後年建てられた味気ないものだが、背後に創建当時のメイン棟が現存する
レセプションデスクの背後には創業当時の「Oranje Hotel」の写真が掲げられている
GMのMr. Manoj Kumar と記念の1枚
ホテル創成期の建物正面ファサード
黎明期に於けるアジアのホテル建設に大きな役割を果たしたサーキーズ兄弟は、東南アジアに4 軒のコロニアルホテルを残している。シンガポールの「Raffles」を始め、ペナン島の「Eastern & Oriental」、ヤンゴンの「The Strand」、そしてスラバヤの「Majapahit」である。白亜のコロニアルホテルは1911年に「Oranje Hotel」として開業した。宗主国オランダのオレンジ公に因んだ名称で、ヴィクトリア様式の面影が残る外観は今もスラバヤで優美な姿を見せている。一時期、マンダリンオリエンタル・グループの傘下に入り、「Mandarin Oriental Hotel Majapahit」となったが現在は提携を解消し、「Hotel Majapahit, Surabaya」の名称である。
ホテル名の「マジャパヒ」とは、14 世紀前後にインドネシアで強大な勢力を誇った「マジャパヒ帝国」の名前に由来している。ホテルは第二次世界大戦当時、日本軍に接収され「ヤマトホテル」と呼ばれたが、日本の敗戦後、勝利したオランダ軍がホテルの屋根の上にオランダ国旗を掲げた。インドネシアが独立を宣言して間もないスラバヤ市民はこれに怒り、ホテル屋上に翻っていたオランダ三色旗の青い部分を引きちぎり、赤と白のインドネシア国旗とした最初の国旗掲揚の瞬間であった。マジャパヒはインドネシア最大の歴史イベントの舞台となった場所でもある。
“North Garden” と呼ばれる広い中庭。ヴィクトリア様式の面影が残る外観は今もスラバヤで優美な姿を見せている
白亜のコロニアルホテルは1911 年、宗主国オランダのオレンジ公に因んだ名称で「Oranje Hotel」として開業した。一時期、マンダリンオリエンタルの傘下に入ったが、現在は「Hotel Majapahit, Surabaya」の名称である
二階建ての客室建物は奥に広がり、中庭に続くクラシカルなコリドーは時代の匂いが溢れている
“North Garden”に面した「Presidential Suite」。東南アジア最大級806 ㎡の部屋面積を誇る
コロニアルの雰囲気が最大限生かされたステアケース