震災の痛手を奇策で逆転
----その後、社会の危機としてはリーマンショック(2008 年頃)、東日本大震災(2011
年)がありました。これらのピンチはどのように乗り切りましたか。
リーマンショックは、実はあまり影響はありませんでした。でも震災の時はガツンときましたね。この時は、まったくレストランに行く雰囲気ではなかったですよね? うちの店でもお客さまが途絶えてしまいました。
そんな時、LA の友人から「今、大変だろう」と電話が来たのです。そして2001 年9.11 のNY のテロの時の話を教えてくれました。
テロの後、NY の街は外食する空気ではなくレストランが苦境に陥っていたところ、市長が「もしもこれでNY の灯火が消えたら、それこそテロリストの思う壺。悲しいだろうけど、いつものように外出してレストランに行ってほしい。街に活気を戻してほしい」と呼びかけたのだそう。それに対してレストラン経営者は、値段を半額にしてお客さんを迎えたのです。互いに助け合う精神です。これで見事NY は復活しました。それで「3.11 でも同じ状況だから、この発想でやってみたら?」と友人は言ったのです。
それでハッとして、私たちはこんな試みをしました。それは、まず、2 人で来られたお客さまがそれぞれ1 万円分のコースを召し上がったら、1 人分は震災地支援の団体に寄付します。さらにいただいた1 万円の中からも20%を寄付します。
そうしたらなんと、毎日90 人ものお客さまがご来店。その年、うちの店ではそれまでで最高利益を出したのです。皆さん、自分だけがレストランで楽しむのではなく、寄付ができて誰かを助けることができることに興味を持ってくださったのでしょう。この奇策で、震災後の危機をうちの店は乗り切ることができました。
コロナをきっかけに挑戦したYouTubeが……
----震災以降は、どのような流れがありましたか?
その後はずっと安定した経営を続けていました。そこで訪れたのがコロナです。コロナは強烈でしたね。
2020 年の4,5 月は緊急事態宣言で休業するお店がほとんどでした。
うちもその時期、クローズしました。こんなこと、ミクニの歴史の中で初めてです。私も従業員も、何もすることがない。それでスタッフの勧めで、私が料理を作って教えるレシピ動画をYouTube で配信しはじめたのです。
配信テーマは、あえて日常の家庭料理にふりきりました。これが受けて、今では登録者数が37.1 万人ものチャンネルに成長しています。そこからレシピ本の出版が決まったり、YouTube を見たという若い新しい層のお客さまが来店なさるなど、想像以上の広がりをもたらしてくれています。
YouTube では、今の店を今年いっぱいで閉じ、37 年のミクニの歴史に一区切りつけることも発表しました。私の料理人人生の第一章が終わり、第二章に向かうと伝えたのです。そうしたら、発表したその日に予約が殺到。クローズまでの期間、ほぼ満席となりました。やはりYouTube の効果は計り知れません。