ホテル日航関西空港は関西国際空港に隣接する、576 室の客室と4つのレストラン、さらに、関西空港会議場の運営を受託するフルサービス型ホテルだ。2012 年に同ホテルの総支配人に着任をした髙橋 信行氏は、当時市場の落ち込みと共に苦戦をしていた同ホテルを立て直した後、毎年着実にホテルの業績とクオリティーを向上させてきた。ホテル内外の人を巻き込みながらホテルの価値を上げ続ける髙橋氏に、これまでの取り組みと今後の展望について聞いた。
Profile
髙橋 信行 氏
(Nobuyuki Takahashi)
大学卒業後、通信機器メーカーにて新規に国内小売事業の立ち上げを経験後、人と接する楽しさを求めて伊豆のリゾートホテルに転職。料飲、フロント、営業職を経て1995 年日本料理のなだ万に入社。国内店での経験を積み、ニューヨーク店マネージャー、都内での新業態店舗ジパングの立ち上げ、経営などに携わる。2006 年㈱JAL ホテルズ(現:㈱オークラ ニッコー ホテルマネジメント)入社。本社運営本部にて料飲企画部、海外運営部、ホテル日航ジャカルタ料飲部長、国内運営部、運営企画部部長時代にはCS、ES などに関するチェーンインフラ整備の道筋をつけ、12 年4 月ホテル日航大阪副総支配人に、同年10 月よりホテル日航関西空港総支配人に就任。以後、組織並びに販売戦略の刷新を断行。以後毎年増収増益を達成。13年度〜15 年度チェーン史上初となる3期連続業績部門最優秀成績賞を受賞。15 年CS 向上優秀ホテル部門グランプリ受賞。18 年6 月には㈱オークラニッコー ホテルマネジメント執行役員に就任。
ホテル日航関西空港
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苦境のマーケットの中で、緊急治療を実施
❒ まずはホテル日航関西空港に総支配人として着任された当初の取り組みからお話しをお願いします。
私がこのホテルに総支配人として着任をしたのは2012 年10 月でした。当時のホテル市場は今ほどインバウンドも多くなかったため決して良いと言える環境ではなく、さらにちょうどその年、尖閣諸島の問題が激化して、平均して約100 ルームナイトあった中国からのインバウンドがまったく来なくなってしまった時期でした。
その中での私のミッションは、まずは赤字を出さない! 次いで業績を上げ続ける、それを通じてオーナー様の信頼を得て、さらにその先にある運営会社としての再契約であると認識していました。
❒ 2012 年と言えば東日本大震災の翌年であり、通年の訪日外国人も835 万8 千人と現在の3 分の1 以下でしたから、一般的な取り組みでは簡単に成果が出る時期ではなかったはずです。どのような取り組みをされたのでしょうか? そして、実際に業績の改善はできたのでしょうか?
幸い結果を出すことができました。着任時まで、このホテルは上期よりも下期の方が厳しいという実績が続いていて、私が着任をしたのがまさにその下期が始まるタイミング。さらに、その年は上期も苦戦していた中で、まずは宿泊に徹底して取り組み、何とかギリギリの黒字を出すことに成功しました。
具体的な取り組みとしては、当時就航したばかりのピーチアビエーションさんと徹底的にパートナーシップを組んだことです。ピーチさんも最初から現在のように好調ではなく苦労をされていたところもありましたので、ピーチさんを利用されるお客さまであれば安く宿泊できますとか、ピーチさんは早朝便とか深夜便が中心でしたので、前泊や後泊に利用していただくための特別プランを出すなどをしましたね。
私たちは「日航」の名前を持つホテルですから、当然一部からはお声もいただきましたが、屋台骨である宿泊をしっかりしなければ、ホテル自体が崩れてしまうという大切な時期でもありましたので、緊急治療的な取り組みでもありました。