デービッド・アトキンソン
(David Atkinson)
1965 年イギリス生まれ。オックスフォード大学「日本学」専攻。92 年ゴールドマン・サックス入社。日本の不良債権の実態を暴くレポートを発表し、注目を集める。98 年同社managing director( 取締役)、2006年partner(共同出資者)となるが、マネーゲームを達観するに至り、2007 年退社。同社での活動中、99 年裏千家入門。日本の伝統文化に親しみ、06 年茶名「宗真」を拝受。09 年創立300 年余りの国宝・重要文化財の補修を手掛ける小西美術工藝社入社、取締役就任。10 年代表取締役会長、11 年同会長兼社長就任。日本の伝統文化を守りつつ、旧習の縮図である伝統文化財をめぐる行政や業界の改革への提言を続けている。
日本経済の高度成長を支えてきたのは人口の激増だった。ところが人口減少の局面に入った今もなお、日本は人口増加を前提とした構造から抜け出せず、世界の常識の枠外に居続ける。そこに日本の本質的な問題があると指摘するデービッド・アトキンソン氏は、日本の観光の在り方もまた非常識な考えに基づいていると警鐘を鳴らす。世界の常識の枠組みの中で、観光をビジネスとして捉えた取り組みを進め、その先の地平に日本版IRを創造するためには、どのような視点が求められるのか。日本文化を知り尽くしたイギリス人アナリストが、日本の観光の弱点を指摘する。
ポテンシャルの有無ではなく
観光資源を「創る」ことを考える
—日本の経済トレンドを、マクロの視点でどのように捉えていますか。
現在の日本経済の構造は少しずつ変わってきてはいますが、旅館業法など長い間変わっていないものがあります。多くの日本人は「日本的」「日本の文化」「日本型資本主義」といった言葉を使って、変わっていないものを擁護する傾向があります。「日本人はお金ではない」「儲かればいいというものではない」という言い方も、よく耳にします。世界の国々は入ってきたお金よりも多く使ってはいけない、つまり儲けなければいけないという常識に立って動いているのですが、日本だけは異質の動き方をしてきたのです。
文化の違いだとか、日本は公益資本主義だとか、さまざまなことを口にする人はいます。しかし、日本が世界に新しい資本主義を示しているという考えは妄想に過ぎません。
移民がたくさんいるアメリカは別なのですが、それ以外の先進国は日本型資本主義とはまったく異なる形で動いている中で、どうして日本だけが別の形で歩んでこられたのか。その理由は戦後、信じられない勢いで人口が増えたからに他なりません。日本は先進国でありながら、途上国のような人口増加が見られた。それが世界でもめずらしい経済モデルが出来上がった最大の理由なのです。
現在の日本の構造はいまだに、あくまでも人口が激増するという前提に立って設計されています。しかし言うまでもなく前提である人口増は止まり、既に終わってしまっています。それどころか人口減というむしろ逆の方向へと進んでいくことが、十分に理解されていないのです。
将来的に日本人は8500 万人にまで減少するかもしれません。これが危機として叫ばれることが多いのですが、たとえ人口が8500 万人になったところで日本が第2の先進国として在り続けることは間違いありません。ところが、8500 万人になったら成り立たないと言う人がいます。シンガポールは550 万人で国家が成り立っているのに、8500 万人になったら大変だというのはおかしな話です。
ただし人口減少のトレンドに入ったわけですから、今までに作ってしまった無駄な構造を壊さなければなりません。そして国内だけで経済をまわすことができなくなりますので、「日本的」という名目のもとに作り上げた神話から目覚めて、現実を見なければならないことは確かです。
—日本には地方も含めて、どれくらい観光のポテンシャルがあると考えますか。
観光を語るときに、ポテンシャルという言葉を使うこと自体が誤りです。ポテンシャルの有無ではなく、観光資源を創るのか、創らないのかの話をしなければなりません。観光とはビジネスです。ラスベガスはもともと何もなかったところに創ったわけで、その前に「ラスベガスにポテンシャルはあるか?」などと問答していたはずがないでしょう。
地方に行くと「外国人はこれを評価しますか」「外国人にとって魅力がありますか」と聞かれます。何もないところにポテンシャルなどあるはずもないのですから、その質問自体が無意味です。評価される魅力を創るためには、どのように整備をするのかによって変わってくるのです。どこであれ施設を創って整備をしなければ、人が集まるようにはなりません。
観光について日本が発信している情報を見渡すと、殺風景の連発です。富士山の形の山は世界に60 以上ありますからそのままでは殺風景ですが、富士山に文化的な背景という付加価値を付けて、さまざまに工夫しながら整備していけば観光資源として成立するのです。ところが日本人は、「この形は美しいでしょう」と言うだけで整備をしないのです。