大沢晴美
Harumi Osawa
1980年代半ばよりフランスへ留学。留学中にフランス料理とレストランサービス、ワインに出会い、帰国後、ファッション業界を経てフランス食の世界へ。88年よりパリ商工会議所の委託により、フランス料理留学を実施。90年 パリ市商工会議所と東京ガスの協定による、「フランス料理文化センター」(FFCC)を開設。94年から料理とレストランサービスの日本全国レベルのコンクールを主催。このフランス料理とレストランサービスコンクールを継続するために、2017年4月に「フランスレストラン文化振興協会」(APGF)を立ち上げ、代表に就任。また日本の食文化を世界に発信するために、パリで日本料理の講習会を開催、フランス各地の星付きレストランで和牛のプロモーション企画を実施するなど、日仏双方向の食文化交流に尽力している。2001年フランス政府よりフランス農事功労章シュヴァリエ、10年同オフィシエ、15年フランス国家功労章シュヴァリエを受章。
中村勝宏
Katsuhiro Nakamura
1944 年鹿児島県生まれ。高校卒業後、料理界に入る。70 年渡欧。チューリッヒの「ホテルアスコット」を皮切りに、以後14 年間にわたりフランス各地の名だたるレストランでプロの料理人として活躍する。79 年パリのレストラン「ル・ブールドネ」時代に、日本人としてはじめてミシュランの1 つ星を獲得。84 年に帰国。ホテルエドモント(現ホテルメトロポリタン エドモント)の開業とともにレストラン統括料理長となる。2003 年フランス共和国より農事功労章シュヴァリエ叙勲。08 年の北海道洞爺湖サミットでは、総料理長としてすべての料理を指揮統括する。10 年フランス共和国の農事功労章オフィシエ叙勲。13 年日本ホテル㈱取締役統括名誉総料理長に就任。15 年クルーズトレイン「TRAINSUITE(トランスイート)四季島」の料理監修。16 年フランス共和国農事功労章の最高位「コマンドゥール」を受章。
はじめに
以前、このホテルレストランの誌面で十六名の食のエキスパートの方々と対談させて頂いた。このことはかけがえのない財産となっている。そして改めて食の深さを知ることとなった。今日、世界的にさまざまな問題が生じ混沌として厳しい時代となった。しかし私どもはいかなるときも食と向かい合ってゆかなければいけません。この度の対談の再開にあたり、新しい視野の元、敬愛する皆さまと互いの胸に響きあえる対談を心してまいりたい所存です。
フランスへの恩返し
調理とサービスが一体となった
食文化の発信
中村 大沢さん、今日は暑い中わざわざありがとうございました。
大沢 こちらこそありがとうございます。今日は楽しみにしてきました。
中村 大沢さんとは長い間お付き合いさせていただいておりますが、思い起こせば大沢さんに初めてお会いしたのはフランスから14 年ぶりに帰ってきて2 ~ 3 年を経たころだったと思います。当時私はとにかく自分の居場所を作り、日本で根付かなければという思いでいっぱいでした。そうした中、大沢さんがエドモントに訪ねて来られましたね。あのとき私はけっこう失礼なことを言ってしまったような記憶があります。
大沢 そうでしたかしら。私は食の業界は門外漢のところから入ってきたものですから、FFCC 立ち上げのころは怖いもの知らずで、とにかくぶつかっては「玉砕」。中村シェフにも玉砕していたんですね。
中村 さあこれから頑張らなければという緊張の日々、大沢さんが来られました。当時まだ今のFFCC の前身のころでしたが、プロ向けのフランス料理の教室みたいなことをやられるとの説明で、「エドモントから生徒を出してほしい」という依頼でした。しかし、私はフランスから帰国したばかりでしたから、まったくそのことに興味がなく、その場でお断りしたように覚えております。
大沢 それはフランス料理留学のご案内だったんです。1988 年にはじめて「フランス料理上級コース」を開講し、これがベースとなって、フランス料理文化センター開設となりました。当時、東京ステーションホテルさんにいきなりご説明に伺ったら、その場で社長が「うちから参加させます」と。そのご縁でJRさんにご紹介いただいて、エドモントにお邪魔したのだと思います。