1923(大正12)年創業、93 年の歴史を刻んでいるのが「アトリエ木下」を展開している㈱木下写場だ。3 年前より本拠地福岡から東京へ進出。自由が丘、代官山、成城など高級住宅街で写真スタジオをオープン。今春3月には横浜元町にも開業する。伝統を守りつつ、チャレンジし続けている背景にはスタッフに対する徹底した人材育成があった。指揮する木下雅文社長に人材育成への取り組みをお聞きした。
福永 御社は約100 年の歴史を刻む写真スタジオとして、今もなお進化し続けておられます。わずか3 年で東京の一等地に5 店舗開業され、「アトリエ木下」ブランドを構築されていますが、この目覚ましい発展の要因は何でしょうか。
木下 “「アトリエ木下」ブランドを浸透させいきたい”という熱い思いと、その思いに賛同し、常に前向きに努めているスタッフの力です。地元の方に愛され、約100 年の歴史を刻めたのは、全社一丸となり社会人として、プロのカメラマンとしてお客さまと感動を共有ができるように真摯に取り組んできたからだと思います。
福永 技術職が強いとどうしても個人の技術やセンスに走りがちで、全社的な統制がとれないケースがあります。まずは社会経験がない新人に対して社会人を意識づけさせるためにどのような教育、指導されているのでしょうか。
木下 社会人としての言葉遣いや所作など、人として信頼を得ることが大切です。私は“生みの親は採用”、“育ての親は皆で”という考えで、各店舗単位で社会人としての経験や知識を持つ先輩や店長が育ての親として新人を教えていくという体制を整えています。先輩や店長も新人に教えることで成長していきます。話をすること、話を聞くことにより教える立場としてさらに勉強をしなければならないという意識を高めていきます。また教える立場の者を成長させるための教育プログラムも構築しています。
福永 私は大学で毎年2 カ月の講義を長年担当させていただきましたが、教えることの難しさを体験いたしました。はじめたころは“どうして教えたのにできないのか?”という疑問を感じましたが、私自身の伝え方が悪いのではないかと思い始めました。どう伝えたらよいのか、年1回、私自身の勉強であり、勉強することで学生とともに成長できることを実感しました。