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ホテレスオンライン 現地レポート

《クープ・デュ・モンド・ドゥ・ラ・パティスリー》日本が前回に続いて優勝

2025年02月27日(木)
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シラの会場正面
シラの会場正面
優勝チーム
優勝チーム

 日本のTVなどでもリアルタイムで報道され、すでに多くの方がフランス・リヨンで開催された世界一を競う製菓のコンクール、「クープ・デュ・モンド・ドゥ・ラ・パティスリー」優勝のニュースを目にされたかと思う。
 フランス東部のリヨン市は美食の都として世界に知られている。そこで隔年で開催されるSIRHA/シラ食品見本市。リヨン郊外の140000平方メートルもの広大な会場で食の展示はもちろん、数々のコンクールのために世界中から多くの人が集まる。
 その中でも代表的な二つのコンクールがポール・ボキューズの名を冠した料理のコンクール《ボキューズ・ドール》。そしてお菓子のコンクール《クープ・デュ・モンド・ドゥ・ラ・パティスリー》であり、この《クープ・デュ・モンド・ドゥ・ラ・パティスリー》は1989年にガブリエル・パイヤッソン氏とチョコレートメーカーの「ヴァローナ」によって設立された。パイヤッソン氏はリタイアされて現在はピエール・エルメ氏が会長を務めている。日本は初回から参加国であり、今回の優勝は4度目となる。前大会でも優勝した日本チーム、今回も優勝を狙って入念に準備を重ねていた。なにより今回のチームは年齢層が高く、団長である富田大介氏は過去に出場経験もある。

 2013年はテーマが「音楽」で富田氏が制作したチョコレートの繊細な指揮棒が「規定サイズより長すぎる」という注意があり、作品設置後にそれをカットする、しないと、ハラハラしたことを思い出す。近年は世界中から参加希望国が増えて、5大陸での予選を通過しなければ参加できなくなった。日本は昨年秋にシンガポールで開催されたアジア大陸予選でも優勝して参加資格を獲得していた。また、今回のチームメンバーは40代以上という経験豊富で精神面でも落ち着きのあるメンバーだった。

 今回の大会テーマは「国家遺産」。自国を代表するイメージを審査員、観客にアピールしなければならない。また、試食部門では「SDGsの取り組みについて」を評価課題としている。はじめての試みとしてショー・ショコラという競技種目が加わった。これはフードトラックが会場に設置され、そこで自由な服装、楽器なども使い7分間で菓子制作ショーを観客に見せるというもの。そしてフードトラックでヴァローナ社の製品を使ったお菓子を審査員に振る舞う。

 各国お国自慢の楽器を鳴らし、民族衣装で踊りをみせたりさまざまな工夫がされていた。日本はお祭りを表現した祭り太鼓を勢いよく叩きながら幕開け。その太鼓は観客席にも同じ太鼓があり、ふたつの太鼓が呼応しながら盛り上げていく。観客席も審査員もあまりの演出の素晴らしさに息をのむ。
 そして出来立てのもなかをアレンジしたチョコレート菓子を審査員に振る舞い、筆者はラッキーな事にその菓子を試食できたのだが、上品なオレンジ風味でとてもおいしかった。日本農業遺産認定の地域栽培の清見オレンジを使っているとのこと。
 そしていよいよビュッフェテーブルへの作品展示がはじまった。高さ165cm、直径150cmの規定の台座に3つの作品を展示する。
 的場勇志選手のくま取りした歌舞伎役者が太鼓のバチを振る、ダイナミックな飴細工。籏雅典選手のチョコレート作品はそのバチでたたかれる太鼓や祭りの文字が描かれた提灯、そして氷彫刻は宮崎龍選手。
 赤いクロスの上に飾られた日本チームのピエスの素晴らしいこと。すべての審査員達が絶賛し、その周りを取り囲み、私たちメディアが全く見ることができない、とブーイングしたくなるほど。
 今回も辻調理師学校リヨン校の生徒の皆さんが朝早くから入場して席を確保。みんなで太鼓や笛で一糸乱れぬ応援を披露した。観客も司会者もその応援の素晴らしさに感動、何より選手の皆さん達へ熱い気持ちが届いたと思う。
 初日の参加国審査は終わり、翌日に強豪フランスチームが同じように制作課題を作成して全参加国の審査が終了した。

 いよいよ表彰式、選手が入場のとき、団長が国旗を掲げて入場するのだが、日本チームの富田団長は国旗を振りながら参加国の並ぶ端から端まで走っている。すでに優勝が間違いない。という自信だろうか?
 3位発表はマレーシア、2位はフランス、この時点で日本の優勝は決まったわけでエルメ氏がおもむろに封筒を開いて「1位、ジャポン」と言ったあとはもう日本の応援団、選手、メディアすべての人たちすべてが大歓声。思わず筆者も涙があふれそうになった。この大会を支えていた日本人パティシエ寺井則彦も感無量だったと思う。

 自身も2003年に日本代表で出場しながら優勝を逃し、2013年団長として参加のときも優勝をフランスに奪われている。今回、愛弟子の富田団長を支えシンガポール予選にも応援に行き本選のリヨンにも駆けつけた。選手達に走り寄る寺井シェフにフランスの審査員パティシエ達が祝福を伝えている。エルメ氏も少し離れたところでその様子を暖かく見守っている。
 実はエルメ氏も寺井氏も同じフランスのパティシエに師事していた。ガストン・ルノートルという現代フランス菓子を完成させたパティシエである。ルノートル氏は初めて日本に洗練されたパリらしいフランス菓子を紹介した人物だった。エルメ氏もアルザスから16歳でパリのオートゥイユの「ルノートル」に修業に来たのだった。日本の「ルノートル」には当時セルジュ・フリボーというシェフパティシエがいて、寺井氏は一番弟子であった。

 日本優勝のシーンはシラのすべての会場モニターにライブで伝えられ、君が代が流れたとき日本人出店者、来場者みんながとても感動したとのこと。その夜の国営放送8時のニュースでももちろん「日本のパティスリーすごい!」と表彰の様子が報道されていた。

現地レポート
内坂芳美

 

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