日本のホテル業界は、戦前・戦後でその趣を異にする。戦前には東京など大都市にホテルが開業、その利用は外国人が多くを占め、日本人の利用は貴族や政治家など限られたものであった。戦後、この流れが大きく変化しバイヤーズホテルと呼ばれる一部のホテルの営業再開から、最初のホテルブームとなった1964(昭和39)年、東京オリンピック開催時期へとつながっていく。この時期、コンチネンタル、そしてフェヤーモントホテルという英国調の雰囲気を漂わせる独特のホテルからホテルマン生活をスタートさせた加藤敬三。その後、大阪ホテルプラザを経て、ホリデイ・イン南海での総支配人時代まで、まるで疾走するオオカミの如くホテルマン人生を謳歌する。自らの著書『骨の髄までホテルマン』の秘められたエピソードを交え、加藤敬三と縁のあった人々の哀悼である。
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Contents
追悼文寄稿
●跡見学園女子大学観光コミュニティ学部 教授 松坂 健氏(オフィス アト・ランダム)
●加藤敬三 助手 しまかた さちこ氏
●(株)オータパブリケイションズ 経営調査室室長・専務取締役 村上 実
● 週刊ホテルレストラン 副編集長 森下 智美