1990 年前後を境に、旅館は減少を続けている。特に2000 年代に入ってからは、その減少スピードが加速している。
このような環境下において、経営が立ち行かなくなった旅館を立て直し、賑わいの場を取り戻す活動に注力している企業がある。東京・お台場での温浴施設運営からスタートし、今や全国で30 もの温泉旅館・温浴施設の運営を行う大江戸温泉物語グループである。同社は今年、いわゆる外資系ファンドであるベインキャピタルに買収された。この事実は、日本文化の粋ともいえる温泉の価値が、海外からも認められたということでもある。これからの旅館は、海外からも認められる存在にならなければ生き残っていけない。
わずか10 年たらずでここまで急成長した秘密を、同社社長の森田氏にうかがった。
徳江 御社は2003(平成15) 年の創業後、2007( 平成19) 年から旅館再生ビジネスに乗り出していますよね? なにか理由があったのでしょうか?
森田 当社のお台場の施設の土地は、期限付きの賃貸借契約となっておりまして、お台場は、いつか閉館しなくてはならないという運命にあります。その一方で、日本の温泉文化を守り伝えていきたいという企業としての想いもあり、減少傾向にあった旅館の再生に乗り出すことにいたしました。
徳江 その結果が、30 近い温泉旅館や温浴施設を運営する、日本有数の旅館チェーンとなったわけですね?
森田 現在の売り上げは400 億近くあります。
徳江 それは素晴らしい。しかし、同様に再生案件を中心にあつかって成長した旅館チェーンには、ほかにも「伊東園グループ」や「湯快リゾート」が挙げられるかと思います。こうしたチェーンはいずれも安さを前面に出していますが、御社の施設はやや価格帯が高いようですね。これを実現できているポイントをお教えいただけますか。
森田 そもそも当社では、価格の安さでお客様に選んでいただけるとは思っていません。例えば、バイキングは一般に人件費を中心としたコスト削減とそれによる低価格の実現を目的とされることが多いと思いますが、当社では考え方が根本的にちがっています。
徳江 御社の施設は、夕朝食ともにほとんどがバイキングですね。
森田 はい、その通りです。このことをご説明するには、どのようなお客さまをターゲットとしているかから始めなければなりません。
徳江 それはマーケティングの基本中の基本のお話になりますね。ぜひお願いいたします。
森田 当社がターゲットとしているのは、平日はシニア層がメイン、週末はファミリーやカップルが主たるお客さまになっています。
徳江 規模が大きい施設が多いと、対象となる市場セグメントも幅広くなりますね。
森田 その幅広いお客さまに、過不足なく満足していただくためにこそ、バイキングを採用しているのです。
徳江 なるほど、その、「過不足なく」、というのが重要ですね。旧来の旅館の食事は、基本的にコーススタイルで、老若男女問わず、かつ好き嫌いがあっても対応できるよう、かなりの量が提供され、残してしまう人も多いですよね。そうなると、おのずから金額も高くなり、食べ残しというむだも生じてしまうわけですね。
森田 ご年配の方は、コースで大きなお肉やてんぷらの盛り合わせが出ても食べきれないこともあります。ところが、バイキングならば一切れだけ、二切れだけ、といったように、好きな量を召し上がっていただけます。
徳江 これは盲点ですね。少しだけなら食べたい、という欲求も満たせるということですね。
森田 はい、そうです。一方で、「足りない」ということはないようにしています。そしてむだを出さないために、例えば少しずつ料理を盛るお皿のサイズを小さくしたりもしています。
徳江 そういったむだを省いた結果として、低価格も実現できている、ということですね。
森田 コスト削減のためのバイキング、ではなく、むしろお客さまの満足度をアップするための重要な商品の一つであると位置づけています。
徳江 ところで、各施設の立地は、若干かたよっているように感じられます。これは、いわゆる「ドミナント戦略」(注:特定の地域に集中的に出店することで、さまざまな経営上のメリットを享受しようとする戦略。コンビニが採用したことで有名)を意識していらっしゃるのでしょうか。
森田 これも、お客さまのことを考えての方策です。シニア層にせよ、ファミリー層にせよ、あまり遠くからお越しいただくのは大変です。そのため、多くのお客さまの居住地から2 ~ 3 時間でアクセスできるところを中心に展開しています。
徳江 なるほど、それもマーケティング論の教科書どおりの対応ですね。大きなボリュームを占める市場セグメントからのアクセスを意識していらっしゃるというのは、非常に重要なポイントだと思います。