秋風が吹き始めるころ恋しくなるのが「おでん」。朝から土鍋でグツグツと準備している母の姿や何とも言えない香りが懐かしく思い出される。今では四季を通して日常的に欠かせない日本人ならではの料理の逸品として浸透。地域により出汁の味や具材はちがうものの、気持ちをほっこりさせる食べ物として根強く受け継がれている。そこで今回は江戸の末期に創業した「たこ梅」から分家、独立し、1971(昭和46)年「南たこ梅」として開店した2 代目女将 岡田正子氏に初代女将の母からの引継ぎのときの思いや守り続けていることなどをお聞きした。
福永 「たこ梅」さんは大阪を代表する老舗おでん屋として、なんばや梅田などで店舗展開されています。約170 年前の創業当初から鯨料理も取り揃えていらっしゃいます。始めに「たこ梅」さん、そして「南たこ梅」さんの歴史を教えていただけますでしょうか。
岡田 本家である「たこ梅」は江戸時代の末期、弘化元年(1844 年)、岡田梅次郎が大阪 日にっぽんばし本橋の道頓堀に創業したのが始まりです。当時、中国からの使者が鍋で煮ているものを見て広東煮(カントンダキ)から派生し「関東煮(カントダキ)」を作り上げました。170 年経った今でも受け継がれた鯨を使用した独特なダシの味を守り続け、関東煮(カントダキ)のおでん屋として本家ともに運営しています。「南たこ梅」は1971(昭和46)年、私の母が本家から分家、独立して開業いたしました。母は三代目岡田松次郎の三女として誕生しました。結婚、子育てをしながらも店を手伝いながら道頓堀本店を兄とともに盛り立てていました。三女として独立し虹のまち(現・なんばウォーク)に開業したのが始まりです。「南たこ梅」の清水店長は1964(昭和39)年以来、53 年間「たこ梅」の味を守り続けています。