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ホスピタリティへの処方せん

第 2回「1990年代に激変した市場にみるホスピタリティの現実」

2014年01月31日(金)
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前回述べたとおり、ホテル市場は1990年代に大きく変化した。マクロ経済的にもこのころを境に日本は停滞の時代(あるいはマイナス成長の時代)に入り、社会的にみても多くの問題が生じるようになったことは誰もが実感しているだろう。

当時の日本は、「アズ・ナンバーワン」…すなわち世界一であると自他ともに認める国であった。三菱地所によるニューヨークの有名ビルの買収や、ソニーによるハリウッドの映画会社の買収なども記憶に新しい。各国で日本の労務管理を見習えとばかり、KAIZENやKANBANといった日本語出自の外国語も耳にするようになった。

それが今や惨憺たるあり様である。かつて世界中を席巻した家電製品や IT製品も、あっという間に韓国や中国の企業に市場を奪われ、かろうじて国内市場でのみ優位性を保持しえている。そして、同様の事態がホテルを中心とするホスピタリティ産業において生じてしまっている。

話を戻そう。1990年代にホテル市場において生じた最大の変化、それは、ホテルの固有業務である宿泊部門での変化であった。

読者諸氏はご存じのとおり、誰もが認めるわが国を代表するホテルだった「御三家」を、1泊の平均価格ではるかに超えるホテルが出現したのである。しかも、フォーシーズンズホテル椿山荘東京(現:ホテル椿山荘東京)、パークハイアット東京、ウェスティンホテル東京と立て続けに3つも開業した。このことは、2つの意味において特徴的であろう。

一つには、それまでの御三家を頂点としたピラミッド構造が終焉したことである。1980年代までに多くのホテルが開業したが、基本的には御三家をモデルとしてダウングレードしたものであった。そのため、競争は秩序だったものにとどまっていたが、市場規模もわが国の経済成長とともに拡大していたため、その方向性で十分にビジネスができたのである。

また、御三家を頂点としたピラミッド構造の崩壊は、それまでのわが国ホテル市場における秩序の破壊であるともとらえられる。このピラミッド構造は、当時の大蔵省による銀行管理、すなわち「護送船団方式」と呼ばれたスタイルを彷彿(ほうふつ) とさせる。つまり、きわめて日本的な「秩序」の業界構造だったのであるが、これが破壊されたのが1990年代ということだ。(ただし、金融の世界では相変わらず「一定の秩序」が保たれているようであるが)。

もう一つは、御三家を超えたのがいずれも、いわゆる「外資系」と呼ばれるホテルだったことである。もちろんそれまでも、ヒルトンやハイアットなど、外資系のホテルは存在した。しかしこうしたホテルはいずれも、御三家を超える価格帯だったわけではない。

当時、このような状況において日本のホテル経営者たちは、外資系ホテルに宿泊する顧客層は海外からの来訪者であり、大きな影響はないとたかをくくっていたようだ。欧米で発達したホテルおいては、当該国からの来訪者については、欧米資本の看板に負けてしまう点があるのは仕方がないという立場を取っていたからである。

しかし、外資系といわれつつもこうしたホテルを実際に経営していたのは藤田観光、東京ガス、サッポロビールといったドメスティック企業である。なぜ各社は、ラグジュアリーホテルの計画に際してパートナーとして国内の御三家ではなく海外の企業を選んだのであろうか。

この時点で、現在の環境の下地が作られた。忘れてはならない…東京には、パーク、グランド、リージェンシーとハイアットが 3つあり、近くアンダーズも加わる。一方で御三家は?と考えれば自明であろう。

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