9月7日、アルゼンチンのブエノスアイレスで、2020年オリンピック開催地が東京に決まり、日本中が歓喜の渦に巻き込まれた。その際に話題になったのが、滝川クリステルさんによる「お・も・て・な・し」のプレゼンテーションであるのは記憶に新しい。
このフレーズがどれほどオリンピック招致に貢献したかは分からないが、多くの日本人は皆このフレーズを聞いて、「やはり日本のホスピタリティは世界でも最高なんだ」と思ったのではないだろうか。確かに、海外出張の際にさまざまな国々で接客を受けて日本に帰ってくると、「やはり日本の接客はいいな」と思うことが多いことは否定できない。
しかしながら、本当に日本のホスピタリティは世界最高なのだろうか。確かにわれわれ日本人にとっては日本のホスピタリティが最高だと感じられたとしても、海外の人々も同じように評価しているのかは疑問が残る。
一方、わが国では当然のように「おもてなし」という言葉がほぼ「ホスピタリティ」とイコールで使われているが、これも本当に正しいのだろうか。そもそも、「おもてなし」は「~を以(もっ)て為(な)す」という動詞から派生したものであると考えられるが、英語のhospitalityには動詞としての派生語はないようである(ほかにも「~を持って為す」や「表無し」といった語源についても言及されることがあるが、ここでは深く触れないでおく)。この点一つを取り上げてみても、hospitalityとおもてなしとを混同して使うことは危険なように感じられる。
そして、本書における考察対象であるホテルやレストランは一般に、(特に欧米では)「ホスピタリティ産業」と呼ばれる。
もしも
おもてなし=ホスピタリティ
であるならば、
日本のおもてなし=日本のホスピタリティ=世界最高
ということになり、さらに
日本のホスピタリティ産業=世界最高
となるはずであるが、必ずしもそうではないのは読者諸氏は先刻ご承知のことだろう。
わが国のホテル市場は、1990年代初頭を境に大きく変化した。それまでの「御三家」を頂点とするピラミッド構造が、この時代に初めて崩れたのである。そしてそのヒエラルキーを崩壊させたホテルはいずれも「新御三家」や「外資系御三家」と呼ばれることになった。すなわち、海外でつちかわれたホスピタリティに、少なくとも価格面では超えられてしまったのである。
このことは、わが国ホスピタリティ産業にとって、実は大変な事態であるのかもしれない。それは、世界最高のホスピタリティと自負していたこの産業が、必ずしもそうではないのかもしれないという状況が生じてきているということになりかねないからである。
このような状況を招いてしまった原因は、大きくは三つ挙げることができるだろう。つまり、
(1)ホスピタリティの誤解…情緒的な視点
(2)ファイナンスや会計に対する軽視
(3)産学連携の希薄さ
である。
かつて、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と喝采(かっさい)された時代にわが世の春を謳歌(おうか)していた日本の製造業が、国内の競争に汲々(きゅうきゅう) として他国を見下している間に、世界市場では他国の企業にかなわない状況となってしまった。ホスピタリティ産業は、今ならまだ世界での競争に間に合う。いや、今こそその最後のチャンスなのかもしれない。
明治期のホテルマンたちは、世界に乗り遅れないよう最高のホテルを作り上げるため、とても進取(しんしゅ)の精神に富んでいた。現在の「ガラパゴス化」している状況を彼らが見たらなんと言うであろうか。
本連載においては、こうした問題点について、これまでは常識と思われていた説を多く否定することも交えながら、一般とは異なる視点から論じていく。
東洋大学 国際地域学部国際観光学科 准教授- 徳江 順一郎 プロフィール