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第十七回 連載 もてなしだけではもう食えない 立教大学 ビジネスデザイン研究科 特任教授 沢柳 知彦

連載 もてなしだけではもう食えない 第17回 タイムバリューを理解せよ(1)

【週刊ホテルレストラン2021年03月12日号】
2021年04月28日(水)
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(前回までのあらすじ)
東京・池袋西口にそびえる独立系ホテル「ホテルメガロポリス東京」の経営改善のために経営企画室長に任命された花森心平は、コンサルタントとして迎えた立身大学の准教授 辻田健太郎のアドバイスを受けながら経営改善に取り組んでいる。今回のテーマはホテルの事業価値についてだ。

 
---
 

師走。キリスト教宣教師が創立した立身大学のキャンパスには大きなヒマラヤ杉が2本植えられていて、毎年クリスマスのシーズンになるとイルミネーションが飾られる。そしてハンドベルの演奏と聖歌隊による讃美歌が流れ点灯式が行われると、あたりは一気に年末の雰囲気に包まれる。その点灯式からまだ日の浅いある日の午後5時、既に暗くなったキャンパスの中庭にはクリスマスツリーが明るく浮かび上がっていた。その脇を、花森は重い足取りで辻田の研究室に向かっている。

これまで、顧客の声を正確に聞くアンケートシステムを構築し、レベニューマネジメントやユニフォームシステム導入を準備し、マーケティングやレストラン部門の改革に着手した。建物所有者である帝国生命との関係改善に役立つうえ、自社のホテル経営上も有益なリスクマネジメント評価シートも作成した。もちろん、花森一人だけの努力ではない。ホテル経営陣は一丸となって科学的な経営手法を積極的に取り入れ、収益体質の改善が見え始めてきたところである。だが、豊島社長の考えは。冷徹だった。

1時間ほど前、花森は豊島興産本社ビル社長室にいた。場所は池袋駅東口にある西武百貨店書籍館の明治通りを隔てて東側の裏通り、何故か本屋と予備校、それにラーメン屋が群生している一角にある。「不動産屋は良いビルを人に貸してなんぼ。自社ビルはぼろくていい。」という先代の教えを守り、ビルの築年は古く、高さも4階建てだ。社長室の応接調度品も昭和を感じさせるものばかりで、革張りの応接ソファの表面にはひびがはいっている。ホテルメガロポリス総支配人財津浩二と経営企画室長花森心平は、そこに呼ばれていた。ホテル社長兼豊島興産社長の豊島がかしこまって話し始める。
 
「財津君、花森君、君たちの活躍のおかげで、ホテル経営の近代化が進み、収益改善の兆しが見えてきたと聞いている。まずは、礼を言いたい。」

「とんでもございません。私は何もしていません。でも、花森は違います。各部署を歩き回り、部門長の協力姿勢を取り付けつつ、問題点を把握し、その解決方法を少しずつあぶり出してきています。正直申し上げて、レストランマネジャーをやっていたときはやる気がない感じでしたが、今回のプロジェクトで一番変わったのは花森です。」
 
恐縮して下を向く花森に、「そうらしいね、ご苦労様」とねぎらいの言葉をかけたあとで、豊島は本題に入った。
 
「さて、本件は社内でも内密に願いたい。本来なら財務部長の近藤君にも同席してもらうべきなんだが、彼は銀行からの出向者だ。今の段階でメインバンクのミズナミ銀行にうちの動きを知られたくない。」
 
確かに近藤は銀行からの出向者だが、このホテルのことを最優先に考える男だ。大事な話なら、「銀行には内密にして」と前置きして近藤も呼ぶべきだったのではないか、と花森は思う。
 
「実は、セントポール・キャピタル・マネジメントという投資ファンドからメガロポリスを買収したい、という申し出があった。ファンドの代表の要(かなめ)さんはお父様が池袋商工会議所のメンバーでね。その伝手でコンタクトがあった次第だ。うちのホテルは不動産を所有していない、ただの賃借人だし、賃料支払後収益は赤字だ、値がつかない、と説明したのだが、どこのチェーンにも属さないフルサービスホテルでこれだけの規模と優れたロケーションを兼ね備えたホテルは他にないから、と、ご執心だ。もちろん、僕も君たちの経営改革の行く末を待ちたい。でも、僕の役員報酬を別にしても年間何千万円という赤字補填が必要なこのホテル事業を継続させる経済的な意義が僕にはわからない。肝心の「いくらで買ってくれるのか」については内容を精査してからでないと提示できないそうだが、概ね10億円くらいだそうだ。持っているだけで赤字の事業にそのような高額な買収提案を受けたのであれば、株主としてはその提案を検討せざるを得ない。わかってもらえるかな?」
 
花森の頭の中では「ホテルメガロポリスが売られる!」というニュースのヘッドラインだけがぐるぐると駆け巡り、豊島の言葉にどう反応したらよいのか、わからない。その点、財津は落ち着いていた。以前、銀座東洋ホテルに勤務していた折、ホテルの業績は悪くなかったのに閉館に追い込まれた経験がある。財津にしてみたら、賃貸借契約が切れてホテルが閉館に追い込まれるよりは、ホテルの株主が変わって事業が存続できることの方が良い選択肢に思える。もちろん、どちらのケースでも自分の居場所はこのホテルにないであろうが。
 
「社長。お話はわかりました。ですが、先方は賃貸借契約があと1年ちょっとで終了することを知っているのでしょうか? 契約が更新されるかどうかわからない事業にそんな大金を払うとは思えませんが。」

「うん、あまり詳細なことは言えないけど、賃貸借契約期間があまり残っていないことは匂わせてある。要さんは、それも含めて精査したい、と言っているんだ。僕としては、守秘義務契約を結び、必要な情報を開示して、このホテルにどの程度の価値があるのかを見極めてみたい。その情報開示の窓口役を花森君のところにお願いしたい。それと、先方が『このホテルの事業価値はいくら』と言ってきたときにこちら側の評価がないと高いのか低いのか、判断に困る。うちのホテルはいくらくらいなのかをざっと計算をしておいてほしい。」
 
花森はようやく口を開く。
 
「あの、ご指示は承りました。ですが、『池袋駅前の更地』ならまだしも、そこに建っている建物を借りて営業しているホテルの事業価値って、どう評価するのか、皆目見当がつきません。やはり数字に関することですし、近藤部長にも参画してもらうべきではないでしょうか。」

「だめだ。ミズナミ銀行に漏れるリスクがある。彼らが今回の話を聞きつけたら、何ていうと思う?彼らは絶対に売れって言うよ。だって、赤字部門だもの。でもね、僕は何が何でも売ろうと思っているわけじゃないんだ。現段階では、自分の意思決定に銀行が口出しをする可能性をできるだけ小さくしておきたいということだ。わかるね?」

「ご趣旨はわかりました。では、せめて辻田先生には相談させてください。ホテルの収益改善支援とはまた異なる仕事になりますが、彼の知見がきっと役に立つと思います。」
 
豊島は腕組みをし、しばらく考えたのち、首を縦に振った。
 
「君は何でも辻田先生頼みだな。まあ、いいだろう。彼はフジコーから社費で海外留学をした稀有な人材だ。業界内で聞いてみたけど評判もいい。但し、改めて本件に関する守秘義務契約書を取り付けてくれ。それと、また追加報酬が発生するんだろうが、とにかくコストは抑えるように。」

「承知しました。」
 
豊島興産本社ビルを出るやいなや花森は辻田の携帯電話に電話をかけた。運よく、辻田は3コール目で応答してくれた。更に運がいいことに、これから大学院生向けの講義が始まる午後6時半までは予定が空いているとのことだった。花森は、森本に電話をし、ウエストゲートでかつサンドとコーヒーをピックアップしてから辻田の研究室に来るよう伝えた。電話の向こうでは研究室訪問を喜ぶ声が聞こえたが、花森はあまり楽しい話にならないことを予告し、彼女の期待値をコントロールして電話を切った。

 
*****

 
研究室で花森の話を聞いても辻田はさして驚く様子も見せず、花森は拍子抜けした。花森にとってはホテルが売られることは大事件だが、辻田にとっては日常的に起こっていることなのかも知れない。辻田は淡々と話す。
 
「その買収話、あまり信用できないな。第一に、賃貸借契約期間が終了間近だ。更新することが確定すれば別だが、今の契約のままで投資を行なう人がいるとは思えない。第二に、ホテル経営は赤字だ。君たちの経営改善努力はまだ数字となって表れていない。まあ、先方はまだ資料を見せていないから、外から見ると魅力的ってことなのかも知れないけれど。」

「それにしても、豊島社長、ひどくないですか? 経営改善の途中で株を売るかもしれないなんて。」

「君は豊島社長、すなわち株主のことを個人的に知っているから、そんな感情が沸き上がるんだ。でも、考えてごらん。例えば、君の住むアパートの大家さんが君が住んでいる間にアパートを売ったら、君は憤慨するかい?」

「しません。別に追い出されるわけでもないし。でも、うちの大家さんは賃借人である僕の給料があがる努力を一緒になってやってくれているわけではありません。社長も含めてホテルの収益を改善しようと努力している我々とはだいぶ事情が違います。」

「OK。では、仮に楽天の三木谷さんが楽天ゴールデンイーグルスというプロ野球球団をシーズン途中で売却する意向を固めた、と発表したとしよう。球団所属の選手は憤慨するだろうか? シーズン当初には一緒に優勝を目指しましょうと言って高額な助っ人を大リーグから連れてくる予算までつけてくれたのに?」

「いえ。だって、彼らはプロですから。誰が球団主になろうと、優勝を目指して全力でプレーするだけです。」

「じゃあ、株主が変わったら困るという、君はホテル経営のプロではないと?」
 
旗色が悪くなった花森が返事に窮していると、森本が研究室のドアをノックした。辻田が応答し入室を促すと、森本がホテルの紙袋を携えて入ってきた。先ほどの花森の電話のトーンからただならぬ雰囲気を察し、「遅くなりました、どうぞ」とだけ言って、かつサンドとコーヒーをテーブルの上に並べた。花森は森本に対して手短に豊島の意向を説明した。いろいろ質問がありそうだったが、森本は自制し、相槌を打つに留めた。ただ、表情には明らかに不安を浮かべ、眉をひそめながら二人の会話の行く末を見守っている。辻田は重苦しい雰囲気を気にするでもなく、早速かつサンドをほおばりながら、会話を再開する。
 
「さて、話を元に戻そう。今日の君たちの目的は『ホテルメガロポリスの事業価値、換言すれば株式価値を評価する』ということでいいね? 実はこのトピックは実に奥が深く、大学では『コーポレートファイナンス』というMBAの科目に属する話題なんだ。これを一時間で説明するのは難しいが、まあ、やってみよう。ホテルが売られるかもしれないということはショックかもしれないが、まず、その感情は脇に置いておいて、大学の講義を受けるような心構えで聞いてくれ。」
 
二人は神妙に頷く。
 
「さて、物には必ず値段がある。株式のように金融商品であればなおさらだ。株式が上場していれば話は早い。インターネットでリアルタイムの売買価格がわかる。それが株価だ。そして株価×発行済株式数でその会社の株式価値がわかる。時価総額、ってやつだね。でも、株式会社ホテルメガロポリスは豊島興産株式会社の100%子会社で上場していない。さて、この場合、どうやって株式価値を査定すべきだろう?」
 
花森は「その査定方法がわからないからここに訊きに来ているんだよ!」と言いたい気持ちを抑え答えを探すが、発言に値するようなアイデアが浮かばない。すると森本が手を挙げ、先攻する。
 
「あの、ホテル会社で上場しているところがありますよね。例えば、帝都ホテルとか。上場しているホテル会社の株価を参考にすればいいんじゃないですか?」

「花森君より先に答えるとはすばらしい。そして、目の付け所も大変に良い。流石、本学の卒業生だ。森本さんが提案した方法は類似業種比準方式という株価査定方法だ。ただ、メガロポリスと帝都ホテルという2つの会社が比較対象と言えるほど、本当に似ているか、というとそうではない。一口に『ホテル業』というが、2社は全く異なるビジネスモデルを有している。第一に、不動産を所有しているかどうか。帝都ホテルは東京・日比谷の一等地に土地建物を所有している。一部は借地だが、その借地権すら価値が高い。翻って、メガロポリスは以前は所有直営だったが、今は賃借人の立場だ。所有する不動産があるかどうかで株式評価は大きく変わる。」

「先生、それを聞いただけで、うちのホテルはダメな気がしてきました。」

「花森君、そんなことはない。仮に立派な不動産を所有していても、その不動産を開発ないし購入するために不動産の時価を超える借入金があるとしたら、株式価値は減じられることになる。要は資産と負債のバランスが取れているか、ということだ。僕が勤めていた渋谷の不動産会社も素晴らしい立地の不動産をいくつも所有していたけど、地価が下落して借入金過多と認定され、倒産した。さて、第二に、帝都ホテルは東京以外にも京都、大阪や長野でもホテル経営を行なっている。立地が分散しているんだ。方や、君たちは池袋の単館のみだ。一般に単館経営はハイリスクとみなされる。もし池袋のホテルが被災したり感染症のエピセンターになったりしたら、会社全体の売上に重大かつ継続的な支障をきたすからね。第三に、帝都ホテルはエンペラータワーというオフィス棟を所有しており、そこからの安定した賃料収入がある。実はこの賃貸部門の利益はホテル部門より安定していて、時としてホテル部門利益よりも大きい。メガロポリスはというと、一階と地下一階に物販やレストランテナントが入っていてそこからの賃料収入があるにはあるが、売上全体に占める割合は大きくなく、かつその賃料を稼ぐための不動産は所有しておらず帝国生命から借りている。テナントには『また貸し』をしているに過ぎない。業界用語では転貸、サブリース、という。」

「要は、同じホテル業だからといって単純比較ができない、ということですね。」

「森本さん、その通り。世の中にはビジネスモデルを無視して業種だけで比較をする人がとても多い。君たちにはそういう人にはなって欲しくない。花森君、では別の株価査定方法を考えてみてくれ。」

「えー、それをずっと考えていますが、いい案が浮かびません。そうですね、不動産は持ってないけど、うちのホテルはベッドや机、PCやら厨房機器やら、一応売ればカネになりそうなものをたくさん持っています。例えば、それらを全部売った値段が、株式価値にならないですか?」

「すばらしい。その回答を思いつくなら、君にはA評価をあげよう。財津総支配人に報告しておくよ。」
 
花森は辻田の本気とも冗談ともつかない反応に苦笑した。辻田は大学の講義モードに戻って解説を続ける。
 
「そう、会社の持っているものを全部売って借金を返した残り、というのも株式評価の考え方のひとつだ。純資産方式というアプローチだね。ただ、売れるものは花森君が例示したような固定資産だけではない。入金期限がまだ訪れていない売掛金や、もしかしたら豊島社長のためにだけ持っている接待用ゴルフ場会員権なんかも換金できるものだね。それと、メガロポリスには、帝国生命に差し入れている20億円の入居保証金がある。これは建物を退去するときに返って来るお金だ。会社資産を全部売り払うという仮定ならばホテル業は廃業するはずだから、この保証金も現金化されるはずだ。一方、返済すべき『借金』も銀行や親会社からの借入金ばかりではない。支払期日が到来していない未払金や税金、それに退職給与引当金なんかも精算しなければならない。」

「辻田先生、うちのホテルの貸借対照表上、資本勘定はマイナスです。ということは、資産を全部換金して負債の返済に充てても、返し切れない負債が残る、ということですよね?」

「残念ながら、その通りだ。今、花森君が説明してくれたのは、会社の清算価値という考え方だ。貸借対照表、すなわちバランスシートには表れていない、資産の含み益や含み損もあるから何とも言えないけれど、純資産がマイナス、ということは、清算価値はない、という可能性が高い。」

「先生、ますます絶望的です。うちの会社って、価値がない会社だったんですね。」

「まあ。そう焦るな。ここでちょっと、アマゾンの話をしよう。」
 

(次号につづく)

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