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第5 回 Part1 中村勝宏プレゼンツ ~美味探求~

第5 回 Part1 ホテルメトロポリタンエドモント  統括名誉総料理長 中村勝宏氏× L’évo(レヴォ)  オーナーシェフ 谷口英司氏

【月刊HOTERES 2018年02月号】
2018年02月09日(金)
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震災後、フランス料理に出会う
 
谷口 それでそのまま1 年くらいが過ぎたころ、阪神・淡路大震災がありまして、その旅館がほぼ壊滅状態になりました。
 
中村 え、それはすごいことを体験しましたね。その地震が起こったとき、谷口さんはどんな状況だったんですか?
 
谷口 ちょうど朝食用のワゴンを押していましたけれど、本当に爆弾を仕掛けられたのかと思いました。柱が横にずれるのが見えたので、やばいと思って走って逃げ、本当に死んだと思いました。ガラスが割れてお客さまもけがをされるといった状況で外に出てみると、目の前に家が全部つぶれているのが見えました。震災後もしばらくは厳しい状況でした。そうした中でも仕事をしなければと思い、震災から3カ月くらいして梅田の小さな洋食屋さんを紹介していただき働くことになりました。
 
中村 そうだったんですか。いやあ、すごいことを経験しましたね。そのようなことを我が身に受けると、おそらく以前との人生観がまったく変わったでしょうね。
 
谷口 ええ、最初はすごくショックでした。
 
 でもとにかく料理人として生きていくためにも頑張らねばと思い、自分の気持を切り替えておりました。そしてそこで働いているとき、フランス料理のシェフの話を聞きました。でも僕はフランス料理というものをあまり見たことがなくて、一度ホテルの厨房に見学に行かせてもらいました。そこで「フランス料理ってすごい」と感動しました。
 
中村 そうでしたか、良かったです。厳しい状況にめげることなく、フランス料理に出会い「自分もやりたい」という気持ちがわいてきたことは、とても素晴らしいことです。
 
谷口 そこのシェフもすごく格好良くされていました。以前僕が和食の料理人にあこがれたのと同じように、フランス料理に興味がわいてきたわけです。当時のフランス料理というのは、神戸や大阪の街場のレストランにはなくて、大きなホテルの中にしかありませんでしたからね。
 
中村 以前はどちらかと言うと、ホテルのフランス料理レストランがとても頑張り、主流となっていました。残念ながら今ではすっかり様変わりしてしまいました。
 
谷口 当時はそうしたホテルに知り合いもいませんでした。でもすごく興味がわいてきて。当時、大きなホテルのフロントわきに行くと、そこのレストランのフェアや季節のメニューといったチラシがいっぱいありました。休み時間に自転車でホテルを回り、そのパンフレットを持ち帰り、料理の写真を切り抜いてスクラップにしていたんですよ(笑)。当時はにただのあこがれみたいな感じでしたが、いつかはやってみたいという思いがありました。僕が21、2 歳のときに、ひょんなことから大阪のラ・ベカスの渋谷さんが店に遊びに来てくれて、「いつか入れてやる」と言われていたんですね。それですごく興奮し、「頑張ろう」と思ったんですけど、当時ベカスはとても有名なお店で、そう簡単に入ることはできませんでした。
 
中村 今の「各ホテルの料理のチラシをスクラップにしていた」という話にはぐっときますね。それだけ谷口さんが一生懸命だったことがよく分かります。若いときにそのような情熱を燃やすということはとても大切で、そこに自分がたどり着く唯一の方法かもしれません。ベカスはさほど大きなレストランではないので、スタッフもそんなに入れ替わりがなかったのだろうね。
 
谷口 はい、そうだと思います。すごく厳しいところだと言われていたんですが、僕は楽しみで仕方がありませんでした。でも機会に恵まれず、結局、神戸のホテルに行くことになりました。今の神戸北野ホテルの前身で、ベルナール・ロワゾーで修行をした方がいらっしゃいました。でも、当時の僕は22、3 歳でしたが、ベルナール・ロワゾーさんがどんな方かもまったく知りませんでした。
 
中村 そのとき、山口さんはすでにいらしたの?
 
谷口 おられましたね。震災後にコート・ドールが撤退して、神戸北野ホテルの前に神戸市内のホテルで料理長をされていました。その時はまだ宴会もしながら小さなレストランでも仕事をするというスタイルでしたけれども、僕が入ったときに同世代の料理人が結構フランスのことを知っていることにかなりのプレッシャーを感じました。でも、料理を作ることに関しては絶対に負けたくないという気持ちが強かったですね。今にして思えばぜんぜんだめでしたけれど、お客さんが喜ぶから料理をしているのではなく、「自分の仕事を認められたい」という一心で料理を作っていました。
 
中村 どんな仕事も最初はまず、そのような一途な思いが大事です。それがあってこそ、自分自身を支えてくれるわけだから。
 
谷口 そうなんです。どうにかして認めてもらおうと思って、朝から晩まで誰よりも早く厨房に入り働いていました。そこでやっと小さなレストランに配属させてもらったときに、初めてフランス料理の盛り付けや下ごしらえをやらせていただきました。
 
中村 うれしかったのでしょうね。しかし谷口さんはなんだか自分の若いころとよく似ています。
 

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