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アニバーサリー対談  「100 年恋するウエディング」出版記念特別対談

次世代へ引き継ぐために「すばらしい言葉」を遺してくれた鈴木良太郎氏

【月刊HOTERES 2017年12月号】
2017年12月15日(金)
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㈲アニバーサリー 代表取締役社長  鈴木啓太氏
㈱エムシイエス 代表取締役  遠山詳胡子氏

故鈴木良太郎氏は、叔父の結婚式に出席したことがきっかけで、ウエディングプランナーを志した。その後ウエディングプロデュース会社を立ち上げ、2006 年に雄大な富士山のふもと、静岡県富士市大渕に記念日の家「メゾン・ド・アニヴェルセル」をオープンするとともに、ケーキショップ、レストランなど記念日にまつわる事業を展開。熱き思いを持ち続けながらも、2016 年10 月26 日、この世を去った。父である良太郎氏の思いをカタチにと、二代目に就任した鈴木啓太氏が「100 年恋するウエディング」を編纂。編集制作にかかわった遠山詳胡子氏と、良太郎氏の偉大さを語っていただいた。

❐「100 年恋するウエディング」出版にあたりご協力いただきました遠山詳胡子さん、そして父・良太郎さんの遺されたメッセージや手書きの絵を収集していただきました
鈴木啓太さんにお話いただければと思います。始めに読者の中には良太郎さんのことをご存じない方もいらっしゃるかと思いますので、良太郎さんの人となりをお話いただけますでしょうか。

遠山
 良太郎さんは、ウエディングに携わる多くの方から本当に慕われていました。良太郎さんがお話されることはとても奥深く、人とは、結婚とは、など本質的な部分を常にお話されたり、自筆の絵で表現されたりしていましたね。その言霊は、多忙なウエディングプランナーに希望を与えました。もっと良太郎さんの話を聞きたいと、全国各地、東北や九州からも、プランナーや結婚式場経営者が「メゾン・ド・アニヴェルセル」へ何度も足を運んでいました。何か行き詰まったとき、うれしいことを報告したいときなど、いつも暖かく受け入れてくれる良太郎さんに会えることが、明日への勇気につながっていたのです。ウエディングばかりでなく多くのホテル関係者の方たちにも慕われていました。残念なことに肺がんという病に侵され、昨年10 月26 日に旅立たれましたが、多くの方がお別れにいらしてくださいましたね。

鈴木 はい、通夜葬儀には、肌寒い雨の日にもかかわらず全国から800 人もの方が参列してくださいました。感謝の気持ちと共に、父の偉大さを実感しました。

遠山 良太郎さんがウエディング業界で広く知られるようになったきっかけの一つは一般社団法人 全日本ブライダル協会や公益社団法人 ブライダル文化事業振興協会(BIA)の講師として教壇に立たれたことだと思います。全国のプランナーが良太郎さんの素晴らしいお人柄に魅了されていったのです。私もBIA で講師として熱く語っていたところ、良太郎さんから「僕たちは似てるよねぇ。」と笑顔で話しかけていただいたのが、私たちの友情の始まりです。良太郎さんと語り始めると時間を忘れてしまい、ついつい2時間、3 時間話こんでしまいます。良太郎さんから電話がかかってきたときも、30 分は時間を確保していました。

鈴木 私は、父からの電話は長くなってしまうので、忙しいと着信をスルーしてしまい、「どうして出ないんだ!」とよく怒られたものです。私は、仕事ばかりしている父のことを好きではありませんでした。家族団らんの時間がほとんどありませんでしたから。学校の行事も土日が多いため、一度も来てもらえなかったですね。家庭を顧みることなく働き続けている姿は、幼いころから私にとって父というよりも社長というイメージでした。結局、亡くなる最期の最期まで一度も「父」と呼んだことがありません。

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